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映画 『トム・アット・ザ・ファーム』

 

公式HP (2013年)

 

サイコサスペンスと聞いてさほど気乗りしなかったものの、愛の物語よりうんと面白かった気がします。つづけてドラン監督。原作は演劇脚本。芝居を観に行って映画化したそうで、若き監督はインタビューで次のように。

 

「戯曲を書いたミシェル・マルク・ブシャールは、訪問者と受け入れる側の双方の視点を見事に描いていた。その一方で、都会VS 田舎という、ありがちな優劣構造を避けていた。2人の男性主人公の関係の残忍性が、舞台ではエレガントで美しく、その暴力的な荒々しさを映画でどう表現するかイメージできた。さまざまな感情を引き起こす戯曲だったが、そこで描かれていた恐怖や不安といった感情は映画表現に向いていると思ったし、その斬新さはまさに自分が求めていたものだった。」

 

出かけることもできない必然もありつつ、ワタシはあんなにすきだった演劇にこのごろ興味を失っていますが、やはり演劇的なものごとのなぞり方が好みに合うなぁ。

 

 

 

暴力による支配、服従の陶酔、屈折したこころ、憎悪と好意。

 

本作でも男同士でタンゴを踊るシーンが印象的でしたが、かのブエノスアイレスもしかり。アルゼンチンタンゴ発祥である19世紀のブエノスアイレスは出稼ぎ労働者がひしめく港町。日頃の鬱憤のはけぐちとして男同士で荒々しく踊ったのが始まりなのだそう。そうか、そうか。

 

ラストシーンで車のハンドルをつよく握りしめたトムは、前に進むのかUターンするのか?

 

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映画 『わたしはロランス』

  

公式HP (2012年)

 

 

とりあえずは、今は、愛の物語には興味ないような気がしますが、濃い青色の壁紙には興味ありありです。

グザヴィエ・ドラン監督はまだ30歳にもならないくらいでしょうが、ワタクシ、目下、作品をさかのぼり中。

色も音楽も素敵です。いつも思いますが、音楽のしめる部分は大きい。トランスジェンダーについては、このへんのことを思い出しつつ観ました。

 

 

 

マイ・マザー (2009年)  

たかが世界の終わり (2016年)

 

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阿部展哉・・あくなき越境者 展

 公式HP

 

昨日、ともだちが急に半休になったと言うので、現美に出かけることになりました。現美に行くときは展覧会を観るためもありますが、現美のある比治山に上がって空気を吸ったり木々を見たりするお散歩が目的です。

 

阿部展也という人を知らず。もとは瀧口修造の詩画集の画で有名になったかただそうです。大正2年のお生まれ。前衛写真の運動や、フィリピンで報道部として従軍し、戦後はシュールレアリスム・アンフォルメル・幾何学的抽象と変転して晩年はイタリアで過ごしたのだそう。

 

それって太郎さんと同年代?と思いましたら、やはり太郎さんよりふたつ年下でいらっしゃいました。

 

 

既視感がある感じがするのは時代なんでしょうね。ワタシたちはこういうものをモダンとする時代の中で育ったということなのかな。阿部さんたちがやっていたアトリエ研究会(1940年代後半から10年ほど)というものにイサムノグチも訪れていたといいますから、なるほど。イサムノグチは9歳上の同時代人。

 

  

 

 

比治山に山鳩がいました。子供の頃からずっと声は聞いているのに、間近で見たのは初めてでした。山はもう若葉の匂いはせず、青葉の季節になっていました。

 

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立 夏

 

時間のポケットみたいな数日ですね。しごとの予定がぽつりぽつりありますし留守にすることは出来ないので普段通りといえそうなんですが、それでも何だかすこし違う。

 

今春就職したムスメは初めてGWに帰省してきませんでした。大きい連休が取れなかったこともありますが、社会人になったのだしそれはそれでいいと踏ん切りがついたようなきもちもあります。

 

連休中にママのお誕生日もあって、自分なりにご馳走をつくりお祝いをしました。ささやかな平穏無事、ささやかな努力。

 

年齢や環境にかかわらず誰もが探しているものでしょうが、どんな暮らしが快適か。足したり引いたりしたらいいものは何か。じかんに余裕ができたぶん、そのことはよりたいせつに、切実になりました。


杜若、去年初めてひとつだけ咲いて、今年はみっつ咲いています。花もうれしいですが、風にそよぐ葉っぱがご馳走です。

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門井慶喜 著 『 銀河鉄道の父 』

 

そうそう、そういえばおらおらでひとりいぐもを読んだのでつづけてこれを読めば賢治と仲良くなる好機と思ったのでした。「おらおらでひとりいぐも」は賢治が最愛の妹のとしをなくして書いた詩「永訣の朝」にある「Ora Orade Shitori egumo」というローマ字の一行からとられた題名だったことと、彼岸や此岸のイメージ、東北弁の語感のようなものも賢治の影響のように感じたからです。

 

賢治の文学には触れない小説にしようと思ったと著者の門井さんがおはなしなさっていたのを読みましたが、そのことがこの小説を読みやすくたのしいものにしたのではないかと感じました。生涯夢を追いつづけた賢治を父親の目線で描き、厳格さと親ばか加減が半端ない父政次郎の姿を描いています。

 

篤い浄土真宗の徒であった父親と法華経にのめり込んだ賢治の関係、経済的に父の力を借り続けた賢治ということはよく知られたことですが、そのことをフィクションの力でわかりやすく読ませてもらうことができました。

 

小説のなかの賢治も政次郎もわかりやすくてカッコ悪いです。そこが魅力的でした。最愛の妹のとしが学校に勤めだして賢治の相手をしてくれなくなったら法華経にのめりこむ。そのうえ父親の浄土真宗の対する熱があればこその法華経で、父に認められたいきもちがありありで甘ったれていて。それで父親に論争をふっかける、本気で言い合ってしまう政次郎。

 

門井さんがそう感じられたからそういう展開になったんだろうなぁと思いますが、としが亡くなったことをあきらかに自分の詩の糧にした賢治への政次郎の怒り。切実な悲しみを道具にした。詩人としてそれはいいもわるいも無いことですが、そうだなぁそういうことだなぁと思います。

 

人はきれいなものでもかっこいいものでもないし、それは亡くしてしまったのちもそう感じます。ワタシ自身のたとえば父親に対してもそうだし、それはみんなきっとそうだろうと思います。立派なばかり、純粋なばかりなんて無い。そういうものだね、という物語に流れる空気にやさしく包まれます。

 

門井さんがインタビューで話しておられた中で印象的だったのは、「家族って必ずバラバラになるものだと感じています」という言葉と、「家庭というものは必ずしもハッピーエンドにならない。離れ離れになるのが当たり前だ」というあたり。

 

賢治は政次郎より先に亡くなってしまうわけですし、人はひとりで死ぬ以外の死に方はないわけで。大きくなった子供をもつ親なら、子供には子供の人生があってそういう意味で親と子のあれほど親密だった関係は消えてしまうのだと思った方がいいと感じているのではないでしょうか。

 

そのことに意識的でもあり、わかっているつもりでも、やはり言われてみてあらためて知るような気持ちにもなったのでした。

 

愛情かどうかはともかく、こどものことほど人の執着を動かす動機になるものは他に見つかりにくいように思います。それ故親子関係は普遍的におもしろい題材なのでしょう。

 

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宮沢賢治 略年表

 

 

花巻市のページから抜き書きさせていただきました。

 

明治29年 岩手県花巻市に生まれる。

      父政次郎 母イチの長男。

      家業は質・古着商。兄弟はトシ、シゲ、清六、

      クニ。

      浄土真宗篤信の家庭環境で育つ。

 

明治39年 小学4年生。父の始めた「我信念講話」に参加。

(10才) 鉱物、植物、昆虫採集、標本づくりに熱中。

      「石っこ賢さん」と呼ばれるようになる。

 

明治42年 成績優秀で高等小学校卒業。県立盛岡中学入学。

(13才) 寄宿舎に入る。

      鉱物採集に熱中。

      翌年教師に引率されて岩手山に登る。

 

明治44年 中学3年生。短歌の創作を開始。

(15才) 盛岡市願教寺の仏教講習にて島地大等の法話を

      初めてきく翌年「歎異抄」を読み感動する。

 

大正3年  盛岡中学卒業。鼻炎の手術で入院。 

(18才) 手術後発疹チフスの疑いで再入院。

      島地大等編「漢和対照妙法蓮華経」に感銘。

      農林学校受験準備。

 

大正4年  盛岡高等農林学校入学。寄宿舎に入る。

(19才) 土日は登山、鉱物標本採集。

 

大正6年  盛岡中学に入学した弟清六と市内に下宿。

(21才) 小菅健吉、保坂嘉内、河本義行と同人誌

      「アザレア」を創刊。

      9月に祖父喜助が亡くなる。

 

大正7年  卒業後の進路について父と対立。 

      盛岡高等農林学校卒業。

(22才) 農林学校研究生となる。徴兵検査二種乙種、

      徴兵免除となる。

      12月妹とし入院の知らせで母と上京。

      翌年3月まで。

 

大正8年  東京で人造宝石の製造販売を計画するが

      父の反対にあう。

(23才) 萩原朔太郎「月に吠える」に出会い感銘を受ける。

      退院したとしと共に帰郷。家事に従事。

      浮世絵版画収集。

 

大正9年  5月盛岡高等農林学校研修生修了。助教授辞退。

(24才) 11月国柱会に入会。父にも改宗をせまる。

 

大正10年 1月無断で上京。国柱会本部で高知尾智耀に会う。

(25才) 下宿して文信社で筆耕校正のしごとをしながら

      街頭布教奉仕活動。

      4月上京した父と関西旅行。

      8月としの病気の報に帰郷。

      9月「愛国婦人」に童話「あまの川」掲載。

      12月稗貫農学校(のちの花巻農学校)

      教諭になる。

      「愛国婦人」に童話「雪渡り」掲載。

      どんぐりと山猫、月夜のでんしんばしら、

      注文の多い料理店など創作。

 

大正11年 「春と修羅」制作開始。「小岩井農場」

      「イギリス海岸」などを書く。

(26才) 農学校の生徒と岩手山登山。「飢餓陣営」を上演。

      11月27日 とし死去。「永訣の朝」

     「無声慟哭」「松の針」を書く

 

 

 

大正12年 童話を出版社に持ち込むように清六に頼むが、

      出版社に断られる。

(27才) 岩手毎日新聞に詩「心象スケッチ外輪山」童話

                    「やまなし」

      「氷河鼠の毛皮」「シグナルとシグナレス」掲載。

 

大正13年 「風野又三郎」原稿筆写を生徒にたのむ。

(28才)  心象スケッチ「春と修羅」を自費出版。

       辻潤に賞賛される。

       生徒と北海道修学旅行。

      「飢餓陣営」「植物医者」など上演。

      「注文の多い料理店」刊行。

      「銀河鉄道の夜」初稿。

 

大正14年 森佐一、草野心平と交わりそれぞれの編集誌に

      詩を掲載。

(29才) 岩手日報に「法華堂建立勧進文」掲載。

 

大正15年 尾形亀之助編集誌に「オッペルと像」

                 「ざしき童子のはなし」「寓話猫の事務所」掲載。

(30才) 岩手国民高等学校で「農民芸術論」を講義。

      4月花巻農学校を依願退職。独居生活開始。

      開墾、レコードコンサートを始める。

      肥料相談や設計を始める。

      8月土曜日にこどもに童話読み聞かせ。

      クニらと八戸旅行。

      羅須地人協会設立。11月頃から定期的に会合。

      12月チェロを持って上京。上野図書館や

      タイピスト学校で勉強。

      オルガン、チェロの練習、エスペラント学習。29日帰郷。

 

昭和2年  「岩手日報」に羅須地人協会の記事が出て社会主義

      との 関係を疑われ事情聴取を受ける。

(31才) 盛岡中学校友会雑誌に詩を発表。

      花巻温泉南斜花壇を作る。

      この頃までに肥料設計図2千枚を書く。

 

昭和3年  6月東京、伊豆大島旅行。

(32才) 日照りで稲作指導に奔走。12月急性肺炎になる。

      翌年まで病臥。

 

昭和5年  病状はやや回復。園芸に熱中。

 

昭和6年  2月東北砕石工場技師となり販売宣伝を受け持つ。

(35才) 「児童文学」に「北守将軍と三人兄弟の医者」。

      9月「風の又三郎」を書く。教え子の沢里武治に

      「風の又三郎」(どっどどどどう)の作曲を依頼。

      石炭宣伝で上京中発熱、遺書を書く。

      帰郷して病臥。

      11月3日手帳に「雨にも負けず」を書き留める。

 

昭和7年  「児童文学」に「グスコーブドリの伝記」掲載。

      挿絵は棟方志功。

(36才) 「岩手女性」に詩を何度か発表する。

 

昭和8年  「天才人」「現代日本詩集」「女性岩手」に

      作品発表。

(37才) 病状悪化にもかかわらず肥料相談に応じる。

      9月21日 法華経一千部を印刷して知人に

      配布するように父に遺言。死去。

      9月23日 安浄寺(浄土真宗大谷派)にて葬儀。

      法名 真金院三不日賢善男子

 

昭和26年 身照寺に改宗。

 

清六と賢治      

 

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牡丹

近所に住んでいたともだちがいて。彼女のつれあいのご病気がわかってから2年ほどか過ぎて亡くなり、それからまた1年が過ぎました。つれあいが亡くなってのち、彼女は長年住んだ古い家をつれあいのお兄さんに引き渡して、だいぶ離れたマンションに移り住みました。

 

その古い家は今は誰も住んではいなくて、彼女は庭に大切にしていた牡丹のことを気にかけていました。

 

その家で彼女が長く一緒に暮らした義理のおかあさまがその牡丹を大切にしていらしたからです。彼女はおかあさまとのことで長く葛藤していましたが、それもはや昔のことになりました。

 

花が咲いたら散るより先に切ること、切る長さ。それらはそのおかあさまから彼女が言い聞かされていたことです。

 

すこしまえ、回り道してその家の前を通りました。今年はさくらもつつじも総じて早く、そのお家の牡丹ももう散っていました。もっと早く、咲いているところを見に行けばよかったと思いました。

 

 

 

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古着とドレッシング

ダンナの古着を買い取りに出すためにブックオフに行った。夜だったので幾ばくかのお金をもらうのは明日だけれど、ゴミ袋に捨てるよりはありがたい。

 

ダンナの衣類を片付けるのはダンナ本人で、これもまことにありがたい。というのもダンナは体重の増減が著しいので、何が着れるかは本人にしかわからないからです。

 

ここ最近は筋トレと食事で20キロほども体重を落としていて、えらいと言えばえらいけど、そもそも20キロも落とせる体重であったことがまちがいじゃないかい?おそらくワタシも見習うべきだと思うものの、無闇に炭水化物が好きなのでなかなか。ハハハ。

 

ブックオフの帰りに立ち読みした雑誌に新玉ねぎで作る白いドレッシングが載っていたので作ってみました。白い材料は無いのに乳化して白くなるのがおもしろく、味も好きな味。

 

 

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江田島へ

 

 

このまえの日曜日、行事に参加すべく江田島に出かけました。往路はフェリー、復路は音戸大橋を渡って。15人で出掛けましたが、上手くお世話出来たかなぁ。さいわい暑いほどの好天になりました。しかし、何ごとも経験なのでしょうね、たぶん。

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生命の樹

   太陽の塔公式

 

6月に京都に行く機会があるので、あわよくば 太陽の塔 の 生命の樹 を見に行きたいと思いましたが、全然予約を取れる余地なく。残念。

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