05
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--
calendar_bottom
            
新藤兼人 百年の軌跡

映画を観に行ったのではあるけれど、当地広島出身の新藤兼人監督の100歳のイベントに、少しでも触りたいというきもちでもあった。

昨日と今日、ベニチオ・デル・トロ氏が来広していて、みーたらはーたらしたワタシは、彼のことをひと目見たいという気持ちもあったけど、それは無理で。しかし、デル・トロが新藤監督を敬愛しているとは。ぜんぜん知らなかったけど、いいなぁ。「21グラム」と「チェ」くらいは観てるぜ! 意識がある人なんだなぁと思う。

いきさつはわからないけれど、昨年の春、デル・トロ氏がディレクターとなって、ニューヨークで「新藤兼人回顧展」を開催。自らが選んだ新藤監督の10作品を上映したといふ。アメリカの人にとって、何ほどのことでもないだろうが、「原爆の子」もアメリカ初上映となった。

ワタシには新藤監督のすばらしさを語る技量など皆目ない。作品もほんの少ししか観ていない。只、ただのじいさんじゃねーぜ!ということくらいは承知しているし、その頑固な意欲というか、思いの強さはインタビューなど拝見してもひしひしと感じられるわけで、広島の誇れるじいさんはかくもしぶとい。


          


今日観れたのは、2004年の作品の「ふくろう」。題材は国策による「棄民」だが、全体はコメディーサスペンスのようでもある。そして、映画全部がひとつのセットの中で撮影されており、察するに90過ぎてなおチャレンジャーな新藤監督の、実験映画という精神からそうなっているのではないかと思ふ。

映画はモスクワで賞も取っているそうで、パワフル。主演は大竹しのぶさん。その題材の設定や細々としたアプローチは、いささか現在の感覚からすればちょっとなーなのだけれど、「棄民」を扱いつつもその力強いエンタテイメント性や、伝わってくる生命力のようなもの半端ではない。

満洲から命からがら引き揚げて後、東北の山奥の希望が丘開拓村に入植した20この家族。土地は不毛で、人々はそこから段々に出てゆき、出稼ぎに行った夫も戻らない。出ていった人々もその後順調な人生とはなっていないようだ。もはや村落にたった2人だけになってしまった母と娘はひどく飢えている。

限界となったふたりは、山向こうのダム工事現場の働く男たちを呼び春を売る。その後、毒入り焼酎を飲ませて殺害。現金を巻き上げる。目標金額は150万。現金収入で電気や水道を復旧させ、電気やや水道やもやってくる。派出所の巡査や役所の職員。結末、家の裏庭に埋めた遺体は9体。作中の、ことに次第は決して陰惨では無い。

新藤監督が、他の映画を撮っておられたとき、そのような開拓村の残された母娘が過去に春を売っていたという話を耳にされたことがきっかけになって作られたもののようだ。しかし、現在の東北の震災にしても、あながち国策の「棄民」」は過去の遺物とは言えないものだろう。セリフに宮沢賢治も一度出てくるが、満洲にしろ、イーハトーヴにしろ、その頃の時代の空気は、何を果たし、何を残したのか?、などと。現在と未来は?、とも。

上映後、ご出演の六平直政さんのトークショーがあった。どんなふうに撮影したか?監督のお人柄は? 撮影している時に六平さんは、1年間ホスピスにいらした自身のお母さまが亡くなったというはなしを監督になさったのだそう。眠るように亡くなる前、看護婦さんたちが喜納昌吉さんの「花」を歌ってくれた、と。

その「花」のサビの部分、「泣きなさい、笑いなさい〜♪」は、この映画の中で、男たちを殺して台車で運ぶ時、母が必ず大声で歌う。六平さんのはなしの中から、監督が拾われたのだ。何もかも捨てた女の図太さというか、大竹さんの怪演に似つかわしかった。

六平さんは、監督が大竹さんの中に、かけがいのない伴侶であった乙羽信子さんを見ているのだろうと仰っていた。乙羽さんといえば新藤監督、新藤監督といえば乙羽さん、ということは誰でも知っている。人間らしいはなしだと思った。

この度のきっかけを自分の中に残しておいて、新藤監督や、監督が師と仰ぐ溝口健二監督の作品を少しづつたどっていければいいと思う。



               



[ 映画のじかん ] comments(0) / trackbacks(0)
ENTRY BOTTOM             
ひとつ紋
  
 
                             

礼装用の着物を着る機会はほとんどない。かといって、洋服なら新しく買わねばならないので、なるべくしかるべき機会には着物を着たい。新しく好きな服を買っても、財布は痛いし、それも日常ではほとんど無用なのだからして。

親族の結婚式とて、兄弟も少ないし、着る機会は限られる。では、いざ色留袖!と思ったわけだが、親族の関係というものも親の世代とは変わっているのだから五つ紋では大袈裟過ぎる。ありゃ!

色留袖とて三つ紋というのも有りだけども、持っていないからなぁ。。
色無地は実家の母の分もぶんどっているので似たような色のが何枚もあるけれど、やっぱ華やかな方がよかろうじゃないか。(無地は、濃くて温かい色のベージュが欲しいんだけどね。)

ということで、訪問着を出してみる。若い時に着ていたやつも着れなくはないけども、やっぱりしっくりこない。もうひとつは、未だ着たことがなくてしつけがかかってたやつ。買った時分には、とーぶん先にならにゃ、いらんわなこんな地味なの、と思っていた。

しかーし、そのとーぶん先、中年もはや終盤という年頃にすっかりナッテイルノダ、ワタシ。で、たとう紙から出してみて思い出した。ああ、これは訪問着じゃなくて、ひとつ紋の色留だった!身頃の上に模様がない! んーーーん、いいんじゃないかな、ひとつ紋の色留。

ええ、ええ、大層シックでございますよ。柄は下だけですからね。何だかお茶席にだって行けそうでございます。いや、よくはわかりませんけども。。。    帯揚げ、帯〆、襦袢は白でございましょう。あ、末広も探さなくっちゃ。帯も可憐なのとか風変わりなのとかじゃなくて、おめでたそうなやつにしときましょ。

ママンがもっと派手な帯〆にしなさいよ、と仰せなので、ママンのコレクションの中からもうママンが使わないと仰せの派手なやつを頂戴した。たかが紐だけども、自分じゃ買わなさそうなもんだなこりゃ。秀吉と名付けておこう。流石秀吉の風格ーーっ!?

そんなこんなで、中身は心身ともにだらーんとしているが、見た目はそれなりにきちんとした親戚のおばちやんが一丁上がり。 の、つもり。 きちんとしたした人っぽいという演出が、フォーマルな場面ではいちばん必要なんじゃろうね。大丈夫でも大丈夫でなくても、これ以上出す手はなんもない。ダイヤもパールも無しだし。

これでまた何年もこの着物を出して着ることはないんだろうなぁ、と思う。何かを受け継いでいるとか、家の人として、とかそんな大袈裟なものではない(家制度などとしたり顔になったのは明治以後に過ぎぬと思う)。けれど、ふつうにお洒落着を着るのとは少し違うきもちが微かにある。

客観的に見れば大した苦労をもせずぬくぬくと歳を重ねただけだが、何処かで満足な気もしたのだった。着るものとは不思議なものだ。



[ つれづれ ] comments(7) / trackbacks(0)
ENTRY BOTTOM             
りんご追分が聴きたくて、
           こんな時間にYoutubeにとらわれの身となっている場合では
           ないのだけども、何故か美空ひばりさんをはしご中。いや、理
                     由はあって、りんご追分が聴きたくなったからなの。

                     りんごの花が咲くこの季節、長野松本でりんごフェスという音楽
                     イヴェントがあるらしい。りんごの曲といえば、やっぱりんご追分
                     だよね~と。あるいはサトウハチローさんの “ 赤いリンゴに 口
                     びるよせて〜♪〜(´ε` ).
  
                      で、ともかく、ひばりさんを聴いてます。

       

               


              


             Jazzフェスの松本英彦さんと菅沼孝三さんのもみっけ ♪ 
             あと、原田芳男さんバージョンとかね。 


                  
[ 音楽のじかん ] comments(0) / trackbacks(0)
ENTRY BOTTOM             
舞台 「 幻 蝶 」
           


広島の大ホールにいっぱいの観客を集めたのは、ひとえに内野聖陽さんの人気に違いない。それに田中圭さんとのとりあわせ。芝居好きとて、古沢良太さんの脚本に白井晃さんの演出と言われればひとたまりもない。 シアタークリエからやってきた作品となれば、性質もそこはかとなく誰でも馴染みやすく上質なものを目指していると察せられる。

結論から言えば、満足度はほどほどというところか。期待すればこそのほどほど。古沢さんと言って初めて意識したのは映画「キサラギ」だったと思う。もともとそれは舞台脚本で、というのがアタマにあったわけだけども、検索してみると舞台は今回の「幻蝶」で3作目。「ALWAYS」にせよ「相棒」や「ゴンゾウ」や「鈴木先生」にせよきら星のようなお仕事は映像ということらしい。

白井さんがゴンゾウにゲストにお出になって、そのお仕事を認めての依頼だったとか何とか。そうそう、白井さんの回のゴンゾウは印象的だったなぁ。で、今回の内野さんもあて書きに違いなかろうけども、ま、言うならばゴンゾウっぽい。ワイルドでアグレッシブつーか。おそらくワタシは、違う色の内野さんを見たかったんだわな。ま、それはコチラの都合ってことはわかっております、ハイ。

本当は飼育が専門のひきこもり蝶おたくの青年・真一(田中) と 業界では名を知られた捕獲の名人 戸塚(内野)。戸塚はやることが無茶で自信家で無頼な男。その2人が幻のシロギフチョウを探すため一緒に廃屋に泊まっている。蝶のこと以外ではまったく噛み合わない。

戸塚は関係を和やかなものにしようと風呂を作ったり、ストリップ見物につれていったり。そこに蝶のブローカー(大谷亮介さん)や廃屋を管理する会社の社員(七瀬なつみさん)、借金の取立てや(細見大輔さん)やストリッパー(中別府葵さん)が関わって、物語はいろいろな側面をうまく見せてゆく。ゴンゾウも、謎解きよりも人間ドラマの深さが流石だったように思うけれど、何話分かいっぺんに見せられた感か? 笑ったり哀しかったり開放されたり怪しかったり。中盤以降、病気やお金に追い込まれていくあたり、つらく切ない。

クリエ発がゆえの作品の親切さなのか、古沢さんの映像作品的な脚本ゆえか、終盤のあたりをチョキンと切ってしまいたくなった。巧みな展開を更に現実的に説明せずとも良いのではないかな。ワタシの好みから言えば、蝶が舞うシーンのカタルシスでくくってもらいたかったと思う。文字の説明もいらない。とはいえ、役者はみな上手いし、内野さんのお尻も充分に拝見するやら(笑)。

むろん、キャン、脱いでるぅ〜は楽しいし、TVでは味わえない。けれど、天邪鬼を言うなら、そんなん無くても内野さんなら完膚無きまでに観客を魅せてしまえるはずとも思う。ええ、まあ、そんな感じです。

でもでも、地方公演来てくれてありがとうね。文句言えるのも、お尻見せていただけるのも来てくれればこそ。ご馳走さまでしたーーっ。



 
[ 舞台のじかん ] comments(0) / trackbacks(0)
ENTRY BOTTOM             
映画 「都会のアリス」
                       

画像が大きくなっちゃった。けど、まあ、いいか。

1973年作。ヴィム・ヴェンダース監督のロードムービー3部作の第一作。ドイツ人作家のフィリップ・ヴィンター(リュディガー・フォーグラ)はアメリカを旅して旅行記を書く事になっていて、ポラロイドカメラで写真を撮り、メモを作っているが、書けないまま帰国しようとしていた。

たまたま空港でアリス(イェラ・ロットレンダー)親子と出会うのだが、母親が書置きを残していなくなってしまい、アリスの祖母の家を探して旅をすることになったヴェンダーとアリス。

とびきり優しくて寂しい心象風景は、ヴェンダース映画らしさに満ちている。すこぶるいい映画なんだけど、ちょっと途中で眠くなるのは別にワタシに限ったことではないのでは?(笑) アメリカで自己の喪失の気持ちにさいなまれたいたヴェンダーは、9歳のアリスに救われているよう。アリスは子供だけれど、まるで上等な一人前の女のようでもある。そのふたりの機微がぐっとくる。

映画の冒頭、ヴェンダーは「アンダー・ザ・ボードウォーク 」を歌っているし、途中でヴェンダーとアリスがいったん別れたとき、ヴェンダーがチャックベリーのコンサートに行ったというふうになっている。曲は「メンフィス・テネシー」。実際のライヴ映像が転用されているそうで、長く時間をとってチャック・ベリーの歌を聞かせているあたり、音楽好きのヴェンダース監督らしい。

「メンフィス・テネシー」は、交換手にメンフィスにいる愛しのマリーに早く電話をつないで という歌詞で、一緒にいるだけでしあわせだったマリーと引き裂かれてしまったと歌っている。そのマリーは、故郷に残してきた6歳の娘というオチ。アリスと別れ別れになったヴェンンダーにぴったり。そのあと再会したとき、アリスに「ロックン・ロールは好きかい?」と尋ねるヴェンダー。

「パレルモ・シューティング」でも映像を切り取ることの意味や音楽への信頼。国や、自己喪失との葛藤というようなベースがあったと思うけれど、つまり映画作品は旅するヴェンダース監督の心そのものなのだろう。

同時期に作られた映画「ペーパームーン」と内容が重なってしまったため撮影を中止しようとしたというのは有名なはなしらしい。そのことによって主に後半の物語は書き直されたのだそう。

この作品に限らないけれど、ヴェンダース監督がファンだと公言している小津安二郎監督からの影響や通じるところはどこなのだろうか? うーむ。 ネットの海でちょこっとお勉強してうなづいたのはこういうこと。

人というものの孤独、人と人とのコミュニケーションというものに対する感覚。人と人とは束の間近づき、果てしなく隔絶してゆく。人と人とのコミュニケーションは、その間の距離を知ること。安定的な関係も、平行線に過ぎない。その感覚の上にあって、手軽な展開や言葉で物語を成立させることをしない。両者の作品を、人と人との間のどうしようもない寂しさが、それ故に優しさが全体を覆うのはそういうことだろう。

ヴェンダーとアリスのモノクロの笑顔が胸にしみた。








               

 
             

                  



     
[ 映画のじかん ] comments(0) / trackbacks(0)
ENTRY BOTTOM             
ボン・イヴェール (Bon Iver)
          


          
            米ウィスコンシン州出身のシンガー・ソングライター=ジャスティン・ヴァーノンの
            ソロ・プロジェクトとしてスタート。08年に発表したデビュー・アルバム『フォー・エ
            マ・フォーエヴァー・アゴー』が音楽メディアを中心に話題となり、ロング・ヒットと
            なる。

            また、多くのアーティストからも絶賛され、後にカニエ・ウェストがボン・イヴェール
            の楽曲をサンプリングし話題となった。2011年セカンド・アルバム『ボン・イヴェー
            ル』を発表、全米チャート初登場第二位を皮切りに、世界各地で大ヒットを記録す 
            る。

            このアルバムは、各主要メディアに大絶賛をもって迎えられ、年間ベストに軒
            並みランクイン。そしてついにはアデルやブルーノ・マーズと並んで、第54回グラ
            ミー賞にて主要3部門を含む全4部門ノミネートされ、見事最優秀新人賞と最優秀
            オルタナティヴミュージック・アルバム賞を勝ち取った。

            (公式より)

       
      
      ど素人とすれば ジェームズ・ブレイク っぽい?
      密林に行ったら、どうも両者のCD購入者というものはかぶっているらしい。
     

      
[ 音楽のじかん ] comments(0) / trackbacks(0)
ENTRY BOTTOM             
たい平・喬太郎 二人会   遊雀・扇辰 二人会
     


両方、もはや3月のことでございます。どっちがより面白かったかと言われれば、ワタシとしては生らくご会の方だったかと。たい平さんと喬太郎さんのねたも何処かにメモしておいたんだけどなぁ。。

林家たい平 柳屋喬太郎 二人会

おばちゃんパワーで、お隣のお席にいらしたお兄さんに、何方がいちばんお好きですか?と尋ねましたら、喬太郎さんだと仰っていました。時折お江戸まで落語を聴きにお出かけになると仰るそのお兄さん、まあ、よくお笑いになられます。いやいや、いいんですよ。心置きなく笑っていただきたいんですが、まあ、改めて、聴く側の反応というものもいろいろなんだなと。生のたい平さんは初でしたが、明るく、大きいホールのお客さんのこともベタにきちんと笑わせて下さいます。隣の席のお兄さんによりませば、喬太郎さんとたい平さんは真打昇進が同じ年(2000年)だそうで、トリはたい平さんの方でございました。


三遊亭遊雀 入船亭扇辰 二人会

 扇辰 「片棒〜扇辰バージョン〜」
 遊雀 「寝床」
  
 仲入り
 
 遊雀 「堪忍袋」
 扇辰 「竹の水仙」

それは後ではっきりと、ねたの性質による香盤順の入れ替えだったとわかったのですが、遊雀さんが新幹線を乗り過ごして福岡まで行っちゃって遅刻だ!ということになっておりまして、予定と順が変わりました。どちらの噺もきもちのいい面白さだったです。明るく軽やかな遊雀さんと落ち着いて端正な扇辰さん。言わずもがなではございましょうけれど、噺家さんの好みというものは、やはり役者の好みと同じだわねと思ったのでございます。

タイプはどうあれ、まずは上手くなくっちゃ、値打ちがございません。見た目いい男だろうがどうだろうが、惹きつけるものがないと。あとは、やっぱりその噺家さんのご自身の人柄だとか持ち味や性質があってこそ。人として、あるいは生き物としての魅力や色気。そこらへんは理屈じゃありませんせんけど、ぐいぐい落語の世界に連れてってくれるお方がいいの〜。このときばかりは手練手管になされるがままの快感に浸りたいっ(笑)。

どっこも覚え書きになってないけど、まあいいか。落語は生もの。次なる良い出会いを待ちたいと思います。

 生らくご通信



[ 落語のじかん ] comments(0) / trackbacks(0)
ENTRY BOTTOM             
ひとりソウルショーDVD
舞台のことも本のことも映画のことも落語のことも、備忘録として書いておきたいのだけど、しょーもない文章すら書くのが億劫らしいワタシ。なにもかもがとっ散らかっているのであーる。

そんななか、はやすっかり堪能してたまにのぞくだけになってしまったTwitterに行ったら、マイダーリン田島貴男の ひとりソウルショーのCDとDVD発売のおしらせ。一緒に行った衿子ちゃんが言うように、どこらへんがソウルショーなのか?という疑問はさておき、発売は目出度い!

どーやらそのCDとDVDを売った収入で(嘘だけど)、夏の「Overblow Tour」に久々にキーボードが参加するらしい。まことに目出度い。ワタシが惚れて以来、キーボード付きのオリジナル・ラヴというものを実際には聴いたことがないのであるからして。もっと儲かったらホーンも呼んでくれるんだろか?(失礼かしら?)

CDとDVDではジャケット写真が違うのだが、あえてDVDジャケットの方だけを貼ろう。写真だけを見ると、何ともいい役者に見えないか? と言うか、怪しい。 ふぁん以外の人から見れば、謎過ぎはしないか?(ふぁん以外に買う奇特な人がいるとは思えないけども。)  つまり、いい面構えじゃん!と申しておるのであーる。 

適切な例えができるほど映画の知識がないのが残念だが、デヴィッド・リンチかコーエン兄弟あたりの、日本で言えば「桃尻女と鮫肌男」みたいな、濃くてすっとんきょうでめっちゃいけてる映画に出て欲しい。気がする。誰かがバーテンダーみたいなシャツと言っていたけど、こんなバーテンダー嫌だわ。あ、タッパのある我修院さんというあたりの設定でOKですっ。

キャラは作らなくても、わけわかんなくて濃くてへんてこりんで思慮深い男ですんで、ウチのダーリン!  そんなわけで、ジャケット画像を貼り終えたらば、今夜も「名探偵モンク」を1話分だけ見て、ワタシは眠りにつくのだ。マイダーリン、グッドナイト!



               






                  
[ 田島貴男のじかん ] comments(2) / trackbacks(0)
ENTRY BOTTOM             
峰不二子という女










さてさて、何もまとまったこともせぬまま飛んでゆく毎日。ルパンのTV新シリーズが始まったと小耳に挟みつつも、こちらでは残念なことに放映されておりませぬ。オープニングテーマ「新・嵐が丘」が 菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールの演奏で、作曲、麗しい作詞も菊地さんの手によるものだとか。


あ、ついでに菊地さんのも貼っとこ。




[ その他 ] comments(0) / trackbacks(0)
ENTRY BOTTOM             
日永


                           永き日や欠伸うつして別れ行く    夏目漱石

なんとも長閑なこの句は、漱石が松山を去る虚子を送るときの句だそうです。江戸ッ子の漱石先生らしく、落語の「あくび指南」というネタを踏まえているのじゃないかと思われます。

男は、近所に出来たあくび指南所に、嫌がるともだちに付き合ってもらってお稽古に行きます。あくびにも春・夏・秋・冬があるけれど、まずは夏のあくびからお稽古しましょうという具合。なかなかうまくいかないのを傍で見ていたともだち、あんまり退屈なので大あくび。お師匠さんに、おともだちは見ているだけで覚えるなんて器用だと褒められるというオチです。

落語は夏のあくびのお稽古ですが、「永き日」は春の季語。春の穏やかで過ごしやすい日々も、桜と同じでほんのつかの間。昨日は家中の布団カバーをはいで洗濯、糊づけして干しました。パリンと乾いた糊の匂いをかぐのが好きです。何気ない永き日のしあわせは愛おしく、そのひとつひとつはしっかり胸に詰め込んでおいた方がいいのかもしれません。





                 


                  


                     
[ つれづれ ] comments(2) / trackbacks(0)
ENTRY BOTTOM