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月の満ち欠け 名前

 

 

こよみのページからお借りしました。他の月にその名前を思っても間違いではないのでしょうが、特に陰暦の八月のことを云うようです。折角なので、秋はしっかり月を観ようと思います。

 

         橋の上子と並び見る盆の月

         とりどりのピクルス漬けて秋に入る

         昼寝覚アクアリウムの水の音

         新涼の素足の少し汚れをり

 

 

 

 

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秋の月

 

秋の月である。雪月花というとおり、春の花、冬の雪とともに日本の四季を代表するものの一つ。月花ともいい、月は花に次いで大きな季語である。一年という時間の輪の上で花と月が向かい合っている。

月は一年中見られるのに、ただ月といえば秋の月をさすのは、秋から冬にかけて空が澄み、月が明るく大きく照りわたるからである。

 

( 柳橋水車図 ・不明・ 桃山時代 )

 

🌙 一口に秋の月といっても八月、九月、十月で月の趣が異なる。初秋八月(旧暦七月)の望月は旧暦ではお盆と一致したため「盆の月」と呼ばれる。仲秋九月(陰暦八月)の望月は「仲秋の名」(2016年は9月15日に当たるが実際に満月になるのは17日明け方)である。

 

「月々に月見る月はおほけれど月みる月はこの月の月」(詠み人知らず)

( 毎月毎月,月を見ることができる月は多いけれど,月を見る価値がある名月は,今月のこの月です )

 

🌙 晩秋十月(旧暦9月)は望月でなく十三夜(左の2割が影になっている)を「後の月」と称して祭る慣わしがある。旧暦では一日は新月、十五日は望月というように日付が月の満ち欠けを表した。昔は月見は十三夜と十五夜のセットでされていました。十五夜だけに月見をするのは「片見月」と言って縁起が悪いとされた。

 

月に関する語句 

 月更く、月上る、遅月、月傾く、月落つ、月の秋

 月の兎、月の蛙、月の鏡、月の顔、心の月、朝月日

 薄月、昼の月、月の暈、夕月夜、待宵、名月、良夜

 無月、雨月、十六夜、立待月、宵闇、 etc

 

   

( 四季色紙帖 宗達・画 光悦・書 ・桃山時代 )

 (  角川俳句大歳時記、他より抜粋しました。 )

 

 

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原 民喜 『 原爆小景 』
   コレガ人間ナノデス

  コレガ人間ナノデス
  原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ
  肉体ガ恐ロシク膨脹シ
  男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル
  オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ
  爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ
  「助ケテ下サイ」
  ト カ細イ 静カナ言葉
  コレガ コレガ人間ナノデス
  人間ノ顔ナノデス


  (  中   略   )



   水ヲ下サイ

  水ヲ下サイ
  アア 水ヲ下サイ
  ノマシテ下サイ
  死ンダハウガ マシデ
  死ンダハウガ
  アア
  タスケテ タスケテ
  水ヲ
  水ヲ
  ドウカ
  ドナタカ
  オーオーオーオー
  オーオーオーオー

  天ガ裂ケ
  街ガ無クナリ
  川ガ
  ナガレテヰル
  オーオーオーオー
  オーオーオーオー

  夜ガクル
  夜ガクル
  ヒカラビタ眼ニ
  タダレタ唇ニ
  ヒリヒリ灼ケテ
  フラフラノ
  コノ メチヤクチヤノ
  顔ノ
  ニンゲンノウメキ
  ニンゲンノ

   (  後   略  )
 

  ■ 原民喜の世界( 広島文学資料室 ) 

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五億年経ったら帰ってくる
さあて、もう5月も終わり。昨日はママンと一緒に大学病院の廊下にいました。

ママンはいろんな詩や歌を沢山暗唱していて、ふとそれを言い出して、誰のだっけ?とか、下の句はどうだっけ? などと仰います。表現されたものによって何かの感覚をそのままパッケージして伝えられるとして、暗唱しているものが沢山あるのはとてもたのしそう。そういう感覚はワタシにはまるで無いなぁ。

廊下で診察の順番を待ちながら。ママンが昨夜言っていた詩が誰のものかスマホで調べて、ひまを潰していたのでした。



  留守と言え  ここには誰も居らぬと言え  五億年経ったら帰ってくる

                       高橋新吉『 留守 』より

高橋新吉(明治34年から昭和62年)という人は日本で最初のダダイストだそうで、中也などにも影響を与えているそうです。精神的に病んだり、禅にかかわっていったりして、欧米では禅の詩人として評価を受け、晩年は安定した生活をおくったそうです。

弥勒菩薩(仏になると約束されている)は釈迦牟尼仏の入滅後、56億7千万年後にあらわれて悟りを開き人々を救済すると言われました。弥勒がいる兜率天での寿命は4千年。兜率天での1日は地上の4百年。400×30×12×4000=5億7千6百万。詩の中の五億年は弥勒が現れるまでの期間をさしています。無仏ということでしょうが、受ける印象は明るいですね。

時間や空間の壮大さは、何処か切なく、何処か軽やか。


       






  
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緩和ケア講座
今日と明日、緩和ケアボランティア講座というものに出ることにしました。緩和ケア病棟のボランティアの基礎知識を習得するためのものです。ちょうど「ケアの宛先」を読んだばかりでしたし。

何時も自分のペースで暮らしているので、朝から授業みたいに席について終日過ごすのは久しぶり。自宅でオイルケアの施術なさっている方や、癌が再発して治療中の方と仲良くなっていっぱいお喋りしたりもしました。自分の知らないことを感じたり考えたりしている別の人生に出会わせてもらうのはしあわせなこと。病気をしてさんざん苦しかったことも、意外に忘れていくものなのですよと仰っていました。忘れることも人に恵まれた能力なんだろうなぁ。あ、そうそう、お姑さんを車椅子からおっことしちゃったと仰っていた同年配くらいの女性にも。うんうん、ワタシも同じ。ワタシもこの前ママンを車椅子に乗せて病院のロビーを爆走しましたもん。

病棟の理念は「あなたらしく生きることを支える」だそうです。病棟の他に県全体のの緩和ケアの支援室もそこに設けられていました。Sandieちゃんのベッドを囲んでみんなで⒈日中馬鹿話をして過ごした日からもうずいぶん時間が経ったことです。

  
     
     
   

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伝 言
   


今夜ママが寄ってくれて、めずらしいどら焼きとおいしいパンと、ママの服とかバックとか持ってきてくれました。2時間ほどおしゃべりしていたよ。そうそう、シャ―ロックseason2 もおもしろかったです。

Twitterに長く写真を貼ってないので面倒で、ここに。このティーバックをママが5箱くらい買ってきてと伝えて頂戴と言っていたのでお伝えしますね。

ワタシはパパさんがお気に召しているシャンパンバーよりコナミの方が好きなので、何時かご一緒してくれたらおごるぞよ。どうぞからだに気をつけて、それ以上痩せないようにね。では、また。

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ラジオノア ちゃん
     



TVはただつけっぱなしになっていただけだったのですが、思わず見入ってしまいました。すてきーーー。
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漱石先生と遅筆堂先生
                       




  2010年に肺がんで亡くなった日本を代表する劇作家の井上ひさしさん。井上さんは、大江健三郎氏と筒井康隆氏の小説にショックを受けて「自分は芝居を書こう」と決めたと語っていますが、そのことは劇作の世界に無二の大いなる財産を残す結果となりました。

 残された素晴らしい評伝劇のなかに「吾輩は漱石である」という作品があります。その作品は1982年に木村光一さんの演出で上演され、小沢昭一さんと吉行和子さんが漱石先生と鏡子夫人を演じました。
修善寺の大患で死にかけた漱石先生の脳裏に走馬灯のように映ったであろうシーンをつなげた漱石先生へのオマージュ。ペーソス溢れる悲喜劇です。       

   
 
井上さんの随筆の中にも漱石先生は度々登場しますし、「吾輩は猫である」の犬版とも言える「ドン松五郎の生活」という新聞小説も書いています。井上さんの座右にはドン松五郎の飼い主のごとく何時でも漱石作品があったに違いありません。


 父母が駆け落ちして生まれた経緯から戸籍上は婚外子だった井上さんが父と死別したのは5歳。義父の虐待を受けたと言われています。孤児院で育った井上さんの心象は「ひょっこりひょうたん島」(
NHK人形劇・島の子供たちはみな既に死んでいて親はいない)の脚本などからも窺えるように思いますが、いわば豊かな愛情に恵まれるというには遙かに程遠いものであったようです。そしてまた、里子に出されまた戻され、次はひどく吝嗇な養父母に育てられ不自然な状態で抑圧されて幼少期を過ごした漱石先生に対して井上さんは尊敬する文学者であるということとともに、格別のシンパシーを抱いていらしたのではないかと想像するのです。


 また、漱石先生の子供たちや鏡子夫人に対する一時期の謎の狂気と
( 「漱石の思い出」夏目鏡子・松岡譲著「父・夏目漱石」夏目伸六著他)井上さんの妻子に対してエスカレートしていった一時期の暴力(「修羅の棲む家」「表裏井上ひさし協奏曲」西舘好子著)は根を同じくして通じているのではないかとも思えるのです。井上さんが荒ぶると「奥さん、申し訳ありません。もう今夜原稿をいただかないとアウトなのです。どうかお願いですから二、三発殴られてもらえませんか」と頭を下げる編集者までいたといいます。精神医学の専門家でもない私個人の推測に過ぎませんが、そこにはただならぬ人の創作のための葛藤だけではなく、魔物がいたのではないかと思えてならないのです。愛情の飢えによる子供じみた狂気。依存や苛立ち。虐待の連鎖を思わせる理不尽。男性の甘え、家庭内権力者の「俺はお前たちを傷つけるが、お前たちは俺を傷つけてはならない」という無自覚。家族に難癖つけるやり方などあまりに似通ってもいます。そのことはまわりのものを酷く苦しめただけでなく、自身こそがその苦しさにのたうちまわっていたのではないのか。修羅の理由も当事者にしかわからないにしろ、事実は事実として。その事実によって作品をおとしめたいということでは決してありません。

 
 井上さんの「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに」はあまりに有名な言葉になりました。井上さんはどんなつらい戯曲の中にも生き生きとしたユーモアを山盛りにしていて、笑わずに観るものなどひとつもありません。それは漱石先生の小説「坊ちゃん」や「明暗」が
スラップスティックめいていることと世界を共有しているとも感じます。井上さんは人間の存在自体の中に悲しみや苦しみはもうすでに備わっているけれど、笑いは人と関わって作らないと生まれないものだと語っています。そしてそこに慰めや救いを支度しようとして命を削りました。


 何時も心に響く井上さんの(「淋しいという基調音」エッセイ集9所収)をお終いに引いておきたいと思います。


 「
漱石全集を通読するたびに、なにかしら新しい発見に恵まれる一方で、いつもの基調音を聞くのが常である。その基調音は「人間というやつはなんて淋しい存在なのだろう」という静かな悲鳴だ。(略)ひとは淋しいから一人では生きられない。だがしかし二人以上集まると互いに迷惑をかけ合い、争い合い、裏切り合い、そして憎み合い、つまりは一人になりたいと切に願うようになる。ところが一人になってみると、やはり淋しくてやりきれない。(略)私はただ、この、淋しさを軸とした堂々めぐりが人生というものではないかという問いを設定した漱石に感謝するばかりである。この問いがあることを知っているだけでも、人生、だいぶ生きやすくなると思うからだ。」




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舞台 「非常の人 何ぞ非常に」 のこと。そして  
         
   
         2000年10月から2001年3月までのあいだNHKの朝の連続ドラマ
          「オードリー」で時代劇スターの幹幸太郎を演じました。


            ■ 舞台「非常の人 何ぞ非常に」 公式


いくぶん長いあいだ蔵之介さんを贔屓で、追いかけてきました。好きとかかっこがいいとかそういうこともあるでしょうが、今の気持ちの中では嫌いとかかっこが悪いも表裏一体を成しています。画面の向こう、板の上の蔵之介さんが発する彼自身と役者としての彼を、生身として傍で見つづけていることじたいを今更手放せなくなっています。どういうことだろうか、そのことは。いや、手放したとしても、もう今と変わらない景色が見え続けるようにさえ思います。

そして今回の舞台の蔵之介さんの役である「平賀源内」は、浮世の世過ぎ身過ぎをしているまるごとの自分自身の琴線に触れるものでもありました。無理を押し通して遠征をし、昨日の福岡公演のマチネ・ソアレをみてきました。ワタシ自身の感じたことを収拾する前に、
こちらのレッドさんが群青色の方に下さったコメントを改めて味あわせていただこうと思います。今、やっと読ませていただく資格があるように思います。



『非常の人 何ぞ非常に』を昨日マチネで観劇してきました。
私が、佐々木蔵之介演ずるキャラクターに「私」を投影して共感できたのは今作がはじめてでした。
自分が憧れるのはいつもはるか対岸にいるひとばかりで、まあちょっと『ハンチョウ』で、いろんな意味でいくらなんでも対岸に行き過ぎたなおい(笑)と思っていたここ数年ですが、今作の平賀源内はちょっとちがいました。

たとえば終盤で源内が、自分はこういう人間であると赤裸に吐露する場面がある。聴いていて、自分がながらく佐々木蔵之介とはこういう男ではないのかと思っていた、そういう像を佐々木蔵之介の口から吐露されそれを聞いているような気持ちになりました。13年間彼という演技者をみながら、もしかしたらそういうひとなんじゃないのかなあこのひとは、と役の向こうにうっすら透けてみえるように感じつづけていたことが、そのまま台詞となってこぼれおちてきた。
そんな感じがしました。

勿論私は佐々木蔵之介の「人間」を知りませんからそんなの思い込みです。でも、だからカタルシスがありました。ひとつの舞台、ひとつの芝居としてならもっと感銘を受けたものはいくらでもあるのですが、佐々木蔵之介の肉体を通した源内の吐露は、そういうのとちょっとちがう響き方をしました。源内の享年51に自分の、そして45歳の佐々木蔵之介の実年齢が肉迫しているせいもあるかも知れません。有り体にいえば「老い」が無理なく窺えたということです。このひとにもそういうものが身に添うようになったんだなあ、という感慨も、そこにはあります。

平賀源内は、自分しか愛せない男として描かれています。それが彼の弱味でもあり、愛の範疇から締め出された他者によって、また自身によって、弾劾されるところでもあります。物語は結局、「彼もまた他者を愛した」というところへ着地して終わるのですが。
でも、自分しか愛せないことが、それほどの悪、それほどの罪なのでしょうか。
翻っていえば、それほどに「自分を愛せる」のです。(そして恐らくは同じくらい、自分を憎悪してもいるのです、彼は)
誰もを遍く等しく愛するよりも遥かに激しく情熱的に、自分ただひとりに向かう一個の巨大な愛。
誰にも自分を所有させず、理解も許さず、ひとりでさっさと対岸へ去ってしまう。
非常な人の非常な人なる所以か、という気がしました。



レッドさん、ありがとうございます。蛇果でいただいたレスの適齢期とリアルのこと しかり。侮っていて虚をつかれたようで、源内の独白があとで効いてしまっています。どうやらそのことを持て余しているようです。


             
           


              ( 公式 舞台写真から画像をお借りしました。 )





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舞台 「非常の人 何ぞ非常に」 のこと。 まず、
                       
             
                    江戸東京博物館 「平賀源内展 」公式


舞台「非常の人 何ぞ非常に」の観劇ににあたり、少しは本も読みましたが、こちらの対談を読むことでつかまえたイメージというのもおおきかったように思います。 展覧会に関連しての橋本治さんと糸井重里さんの対談。 失礼して「ほぼ日」さんからリンクをお借りしたいと思います。


          
2004-02-24   第1回:なぜ橋本さんは源内が好きじゃないのか。
2004-02-27      第2回:戯作っていうものはね。
2004-03-02   第3回:源内のマルチぶりが、なぁ?
2004-03-05   第4回:絵の脳と文章の脳。そして源内のレベル。
2004-03-09   第5回:平賀源内の中にもある、
  日本人の持ってるクオリティの高さ。
2004-03-12   第6回:私は勃たない、という大思想(前編)
2004-03-16   第7回:私は勃たない、という大思想(後編)
2004-03-19   第8回:武士の蘭画は、せつない遠近法。
2004-03-23   第9回:体系づけない人達の体系。
2004-03-26   第10回:エロスとタナトスの世界。

最終回 空気のような存在なんだよ

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