06
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
--
>>
<<
--
calendar_bottom
            
坂爪真吾 著 「セックスヘルパーの尋常ならざる情熱」

何年も積んである山の中から読みました。上野千鶴子ゼミ出身の坂爪氏。障害者に対する性的なケアサービスをしている非営利組織ホワイトハンズを起業。性的なケアというものをどう考えたらいいのか興味深く読みました。旧優生保護法による強制不妊手術の問題もふくめて、何をどうとらえればいいのか僅かでも認識したいと思いました。題名の尋常ならざる情熱とは主にホワイトハンズの起業奮闘をさしています。

 

最低限の性の健康と権利とは何? 障害のことをひとまず置くとしても、性のことはいろいろな矛盾や不毛に包まれているはず。坂爪氏は「セクシュアル・リテラシー」と「ベーシック・セックス社会」という言葉を使っています。性に関することを客観的に理解したり肯定尊重できる力。

 

最低限を考える時、ホワイトハンズでは性を大きく3つに分けて考えているようです。そんなことすらワタシにはめっちゃ難しいなぁ。「愛情表現の手段(ラブ)」 「性的娯楽(エロス)」「生理現象(生殖機能)」。社会性のある方法でのケアの対象はその3つめのみ。具体的には射精介助。

 

女性については自慰行為に手助けが要らない場合が多いことなどもふくめ、性暴力被害の防止や妊娠出産の支援の方が優先順位が高いというとらえ。

 

セクシャル・リテラシーについても提案をしていますが、そのへんも面白いです。特定のパートナーとの性について据え膳は無い、恋愛はここ数十年の流行、恋愛より結婚の方が簡単、などなど。

 

恋愛結婚もそれとして、まず、据え膳ビジネスのカモになったりしない、誰かを性的に傷つけたり傷つけられたりしない、セクハラ・DV・性的虐待などについてもきちんと回避、担えるのはきもちのよいことに違いありません。

 

じぶんの性を肯定出来れば他人の性のあり方を尊重でき、他人からも尊重される。そのことで自己信頼を持てることは人との関係が薄れがちな社会のサバイバル技術にもなりえると書いています。

 

社会において、性を有害・規制対象としてとらえない制度というにはまだまだ塀が高そうですし、おおらかさとひとことに言っても複雑だなぁと思いながら読み終えました。

 

他人事にしてしまうような言い方になりますが、それでも、ふたをしたままにするのでなく、正面から考えてみるというのは気分のいいことだと感じました。うんうん、年齢にかかわらず風通し良く快適な、きぶんのよい社会は大切なこと。そういう社会のひとりになりたいものです。

 

 

[ 読書のじかん ] comments(0) / trackbacks(0)
ENTRY BOTTOM             
門井慶喜 著 『 銀河鉄道の父 』

 

そうそう、そういえばおらおらでひとりいぐもを読んだのでつづけてこれを読めば賢治と仲良くなる好機と思ったのでした。「おらおらでひとりいぐも」は賢治が最愛の妹のとしをなくして書いた詩「永訣の朝」にある「Ora Orade Shitori egumo」というローマ字の一行からとられた題名だったことと、彼岸や此岸のイメージ、東北弁の語感のようなものも賢治の影響のように感じたからです。

 

賢治の文学には触れない小説にしようと思ったと著者の門井さんがおはなしなさっていたのを読みましたが、そのことがこの小説を読みやすくたのしいものにしたのではないかと感じました。生涯夢を追いつづけた賢治を父親の目線で描き、厳格さと親ばか加減が半端ない父政次郎の姿を描いています。

 

篤い浄土真宗の徒であった父親と法華経にのめり込んだ賢治の関係、経済的に父の力を借り続けた賢治ということはよく知られたことですが、そのことをフィクションの力でわかりやすく読ませてもらうことができました。

 

小説のなかの賢治も政次郎もわかりやすくてカッコ悪いです。そこが魅力的でした。最愛の妹のとしが学校に勤めだして賢治の相手をしてくれなくなったら法華経にのめりこむ。そのうえ父親の浄土真宗の対する熱があればこその法華経で、父に認められたいきもちがありありで甘ったれていて。それで父親に論争をふっかける、本気で言い合ってしまう政次郎。

 

門井さんがそう感じられたからそういう展開になったんだろうなぁと思いますが、としが亡くなったことをあきらかに自分の詩の糧にした賢治への政次郎の怒り。切実な悲しみを道具にした。詩人としてそれはいいもわるいも無いことですが、そうだなぁそういうことだなぁと思います。

 

人はきれいなものでもかっこいいものでもないし、それは亡くしてしまったのちもそう感じます。ワタシ自身のたとえば父親に対してもそうだし、それはみんなきっとそうだろうと思います。立派なばかり、純粋なばかりなんて無い。そういうものだね、という物語に流れる空気にやさしく包まれます。

 

門井さんがインタビューで話しておられた中で印象的だったのは、「家族って必ずバラバラになるものだと感じています」という言葉と、「家庭というものは必ずしもハッピーエンドにならない。離れ離れになるのが当たり前だ」というあたり。

 

賢治は政次郎より先に亡くなってしまうわけですし、人はひとりで死ぬ以外の死に方はないわけで。大きくなった子供をもつ親なら、子供には子供の人生があってそういう意味で親と子のあれほど親密だった関係は消えてしまうのだと思った方がいいと感じているのではないでしょうか。

 

そのことに意識的でもあり、わかっているつもりでも、やはり言われてみてあらためて知るような気持ちにもなったのでした。

 

愛情かどうかはともかく、こどものことほど人の執着を動かす動機になるものは他に見つかりにくいように思います。それ故親子関係は普遍的におもしろい題材なのでしょう。

 

[ 読書のじかん ] comments(0) / trackbacks(0)
ENTRY BOTTOM             
宮沢賢治 略年表

 

 

花巻市のページから抜き書きさせていただきました。

 

明治29年 岩手県花巻市に生まれる。

      父政次郎 母イチの長男。

      家業は質・古着商。兄弟はトシ、シゲ、清六、

      クニ。

      浄土真宗篤信の家庭環境で育つ。

 

明治39年 小学4年生。父の始めた「我信念講話」に参加。

(10才) 鉱物、植物、昆虫採集、標本づくりに熱中。

      「石っこ賢さん」と呼ばれるようになる。

 

明治42年 成績優秀で高等小学校卒業。県立盛岡中学入学。

(13才) 寄宿舎に入る。

      鉱物採集に熱中。

      翌年教師に引率されて岩手山に登る。

 

明治44年 中学3年生。短歌の創作を開始。

(15才) 盛岡市願教寺の仏教講習にて島地大等の法話を

      初めてきく翌年「歎異抄」を読み感動する。

 

大正3年  盛岡中学卒業。鼻炎の手術で入院。 

(18才) 手術後発疹チフスの疑いで再入院。

      島地大等編「漢和対照妙法蓮華経」に感銘。

      農林学校受験準備。

 

大正4年  盛岡高等農林学校入学。寄宿舎に入る。

(19才) 土日は登山、鉱物標本採集。

 

大正6年  盛岡中学に入学した弟清六と市内に下宿。

(21才) 小菅健吉、保坂嘉内、河本義行と同人誌

      「アザレア」を創刊。

      9月に祖父喜助が亡くなる。

 

大正7年  卒業後の進路について父と対立。 

      盛岡高等農林学校卒業。

(22才) 農林学校研究生となる。徴兵検査二種乙種、

      徴兵免除となる。

      12月妹とし入院の知らせで母と上京。

      翌年3月まで。

 

大正8年  東京で人造宝石の製造販売を計画するが

      父の反対にあう。

(23才) 萩原朔太郎「月に吠える」に出会い感銘を受ける。

      退院したとしと共に帰郷。家事に従事。

      浮世絵版画収集。

 

大正9年  5月盛岡高等農林学校研修生修了。助教授辞退。

(24才) 11月国柱会に入会。父にも改宗をせまる。

 

大正10年 1月無断で上京。国柱会本部で高知尾智耀に会う。

(25才) 下宿して文信社で筆耕校正のしごとをしながら

      街頭布教奉仕活動。

      4月上京した父と関西旅行。

      8月としの病気の報に帰郷。

      9月「愛国婦人」に童話「あまの川」掲載。

      12月稗貫農学校(のちの花巻農学校)

      教諭になる。

      「愛国婦人」に童話「雪渡り」掲載。

      どんぐりと山猫、月夜のでんしんばしら、

      注文の多い料理店など創作。

 

大正11年 「春と修羅」制作開始。「小岩井農場」

      「イギリス海岸」などを書く。

(26才) 農学校の生徒と岩手山登山。「飢餓陣営」を上演。

      11月27日 とし死去。「永訣の朝」

     「無声慟哭」「松の針」を書く

 

 

 

大正12年 童話を出版社に持ち込むように清六に頼むが、

      出版社に断られる。

(27才) 岩手毎日新聞に詩「心象スケッチ外輪山」童話

                    「やまなし」

      「氷河鼠の毛皮」「シグナルとシグナレス」掲載。

 

大正13年 「風野又三郎」原稿筆写を生徒にたのむ。

(28才)  心象スケッチ「春と修羅」を自費出版。

       辻潤に賞賛される。

       生徒と北海道修学旅行。

      「飢餓陣営」「植物医者」など上演。

      「注文の多い料理店」刊行。

      「銀河鉄道の夜」初稿。

 

大正14年 森佐一、草野心平と交わりそれぞれの編集誌に

      詩を掲載。

(29才) 岩手日報に「法華堂建立勧進文」掲載。

 

大正15年 尾形亀之助編集誌に「オッペルと像」

                 「ざしき童子のはなし」「寓話猫の事務所」掲載。

(30才) 岩手国民高等学校で「農民芸術論」を講義。

      4月花巻農学校を依願退職。独居生活開始。

      開墾、レコードコンサートを始める。

      肥料相談や設計を始める。

      8月土曜日にこどもに童話読み聞かせ。

      クニらと八戸旅行。

      羅須地人協会設立。11月頃から定期的に会合。

      12月チェロを持って上京。上野図書館や

      タイピスト学校で勉強。

      オルガン、チェロの練習、エスペラント学習。29日帰郷。

 

昭和2年  「岩手日報」に羅須地人協会の記事が出て社会主義

      との 関係を疑われ事情聴取を受ける。

(31才) 盛岡中学校友会雑誌に詩を発表。

      花巻温泉南斜花壇を作る。

      この頃までに肥料設計図2千枚を書く。

 

昭和3年  6月東京、伊豆大島旅行。

(32才) 日照りで稲作指導に奔走。12月急性肺炎になる。

      翌年まで病臥。

 

昭和5年  病状はやや回復。園芸に熱中。

 

昭和6年  2月東北砕石工場技師となり販売宣伝を受け持つ。

(35才) 「児童文学」に「北守将軍と三人兄弟の医者」。

      9月「風の又三郎」を書く。教え子の沢里武治に

      「風の又三郎」(どっどどどどう)の作曲を依頼。

      石炭宣伝で上京中発熱、遺書を書く。

      帰郷して病臥。

      11月3日手帳に「雨にも負けず」を書き留める。

 

昭和7年  「児童文学」に「グスコーブドリの伝記」掲載。

      挿絵は棟方志功。

(36才) 「岩手女性」に詩を何度か発表する。

 

昭和8年  「天才人」「現代日本詩集」「女性岩手」に

      作品発表。

(37才) 病状悪化にもかかわらず肥料相談に応じる。

      9月21日 法華経一千部を印刷して知人に

      配布するように父に遺言。死去。

      9月23日 安浄寺(浄土真宗大谷派)にて葬儀。

      法名 真金院三不日賢善男子

 

昭和26年 身照寺に改宗。

 

清六と賢治      

 

[ 読書のじかん ] comments(0) / trackbacks(0)
ENTRY BOTTOM             
大西朋 句集 「 片白草 」

大西朋さんの句集を人からいただいた。大西さんは40代の女性で結社の「」と「鷹」に属しておられるらしい。大西さんがはじめたまたま師事されたのが、大峯あきらさんと一緒に「晨」をはじめられた宇佐美魚目さんであったところからそのような経歴となったらしい。そしてこの句集で俳人協会の新人賞を受賞なさったそう。


さておき、俳句というものがどういうものなのか相変わらずさっぱりわからないままなのだけど、句の鑑賞のまえに「鷹」の主宰である小川軽舟さんの序文をメモ。


「朋さんの俳句の言葉はソプラノリコーダーの音のように素直だと冒頭に書いた。ふと思い当たってあらためて校正刷りに目を通してみたのだけれど、間違いない、朋さんの句には比喩がひとつも無いのである。そればかりか、朋さんの俳句には寓意や暗喩といったニュアンスを帯びることが一切ない。あるものを表す言葉は、そのものを表す以外に何ものも表さない。だからヴィブラートのかからないリコーダーのように、言葉がまっすぐに向かっくるのだ」


比喩や暗喩をつかわずに平明にと指導されているけれど、先生によってはそうではないことも知ってはいる。いいわるいで無いことも。


身支度のものの五分や桃の花

蘭鋳やみずうみ見ゆる通し土間

田の上の風はつめたし蚊喰虫

汝が置きし手袋雨の匂ひせり

行列の先に湯気たつ小春かな

江ノ電のワイパー小さし卯波見ゆる

かはほりのきゅっと縮みし眼かな

欄壊なき虫の骸や桐一葉

寄生虫の組み合い波にさらはるる

片白草魚に声のなかりけり



[ 読書のじかん ] comments(0) / trackbacks(0)
ENTRY BOTTOM             
若竹千佐子 著 『 おらおらでひとりいぐも 』

  河出書房新社HP

 

つれあいを失って悲しくてたまらないけれど、何処かで解放されたと感じる。それはおんなの中に必ずあるのじゃないだろうか。失って何年かはきっとそこに、長く守ってきた居場所のかたちがまだあるのだろうけれど、それがだんだん、おそらくなーんにも無くなっていくような。老いてゆく。迷惑をかけていないのなら生きていてもいなくても誰も困らない。それはとっても広やかであるだろうけれど、どういう理屈で立っていればいいのかを考えないで済むというものでは無いのだろう。おそらく。自分をてなづけないと。

 

宮澤賢治が最愛の妹のとしをなくして書いた詩「永訣の朝」にある「Ora Orade Shitori egumo」というローマ字の一行からとられた題名であるということを知って、永訣の朝も読み直しました。賢治は賢治、この小説はこの小説、ですけれども、東北の文化なのか賢治自身なのか、そこはもちろん通じていました。行くのは死ぬことでもあり、生きることでもあり。

 

この小説は「人生を肯定的に」とか、「老いの意欲と自由」とかと評されているそうですが、ワタシはそんな威勢のいいふうには感じなかったです。最後のところは過去の人々が時間を積み重ねてきたことの上にある自分や、此岸と彼岸や、いろんなふうにイメージは重なっていっていました。イメージは開かれていて明るいのですけれど、ワタシは正直やっぱり年をとるのはやわじゃないぞ、と。

 

誰もがこの主人公である桃子さんは自分だと感じる、そのモデルを提示してくれていたのでした。その感じあるね、というそのアイコンとでもいうか。老いて行くとき、時代が移ることで労力を払って重んじてきたものが価値の無いものになったり、自分自身も重んじられることが無くなったりする無惨をあきらめて、軽やかになっていければねーと思うのですけれど。

 

 

[ 読書のじかん ] comments(0) / trackbacks(0)
ENTRY BOTTOM             
平野啓一郎 著 『 マチネの終わりに 』

 特設サイトhttps://k-hirano.com/lp/matinee-no-owari-ni/

 

いやはや。今はテレビドラマはわりとたのしみに見ています。何時の頃かずっとドラマも見れない時があって、今はのんきな気軽なのだけがすき。今のレギュラーは、マツジュンとキムタクと石原さとみ。ふふ。お気楽でしょ。

 

本も読めなくなって、お布団で読むのが至福なんて気分も長く味わっていなくて。まあ、元から読書家とかではないのですけども。恋愛小説なら読めるのではないかなぁと。何処かで薦めていたのも記憶にあって手にしました。

 

たのしかったです。展開にはいささか無理が?とも思いましたが、苦しくなることなく、心が、感情が揺らされました。ギタリストの男性と海外の通信社に勤める女性の、40歳あたりの大人の、抑制のききすぎているともいえる恋。恋愛小説の芯というものはあのすれちがいの「君の名は」と同じことなのか?とか思いつつ。恋愛小説というものは、ふたりのきもちが上手く通じて溶ける合うことを祈るように読みすすめるのが醍醐味なのかも。

 

作者の言葉を借りた方が早いので、借りてしまうと。 小説の中心的なテーマは「恋愛」ですが、そこは僕の小説ですので、文明と文化、喧噪と静寂、生と死、更には40代の困難、父と娘、《ヴェニスに死す》症候群、リルケの詩、……といった、硬軟、大小様々なテーマが折り重なって、重層的な作りになっています。もちろん、全篇にわたって音楽の存在は重要です!

 

重層的なテーマについてはちょっとわかってる気分にしてもらえるのが面白味です。ワタシ自身は恋愛について考える時期にはありませんけれど、若者の恋では無いというところに心を近くすることができました。思い通りにならないこと、経過してしまう時間だとか。

 

繰り返し出てくるモチーフは「過去は変えることができる」ということで、過去の意味づけが変わることで自分の存在の核を置き直すことが出来る。長い時間の流れを受け止めてきた大人。そのことで変わっていけるとすれば人生の妙なるあじわいに違いありません。

 

カタルシスを味わえないまま終わるのかなぁと少し不安でしたけれど、それなりに。

 

 

[ 読書のじかん ] comments(2) / trackbacks(0)
ENTRY BOTTOM             
澤田瞳子 著 『 若 冲 』

 

昨年は少しも本を読まなかったように思います。新聞すら読むのが億劫で重ねては捨てるばかり。とっつきやすいものからはじめて、本が読めるようになりたいなぁ。というので、積読の中から選んだのがこれでした。

 

おそらく沢山の史料を積み重ねられた上で、澤田さんが造形された若冲という人間が描かれています。史実でない部分も大きいのでしょうが、若冲の生家である京都錦小路の青物問屋、相国寺の僧である大典や石峰寺の大枠は勿論。池大雅、与謝蕪村、円山応挙もそれぞれ血の通った人物として出てきます。

 

若いころに自死させてしまった妻への贖罪として絵を描き続けたという設定や、その妻の弟で贋作の絵描きとなった君圭との相克が主な物語の流れですが、そこには少し弱さを感じつつ、ぐんぐんたのしく読むことが出来ました。

 

京都のその時代の空気に少し触れることも出来るのは、ドキュメントとフィクションを筆力で上手く混ぜてあればこそ。

[ 読書のじかん ] comments(2) / trackbacks(0)
ENTRY BOTTOM             
よく生きるということ 岸見一郎さん

 

先日、高校生の女の子に手作りクッキーをもらいました。人のきもちの宛先になることはしあわせだなぁと何時も思います。なっちゃん、ありがとうね。

 

ますますこの頃本を読むことができなくて、どうしてとっ散らかっているのかなぁ。さておき。えーと、岸見先生のおはなしがあったそうで、その要約だけを冊子で読んだのでちょっとメモ。えーとえーと、つまりは幸福に生きるというおはなしに思えるのだけれど、先日の100分で名著のラッセルの「幸福論」からイメージはつながり。ラッセルも「他者とつながること」でしあわせになれると云っていて、そこらへんも。

 

「成功と幸福をとを同一視するようになって以来、人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった。

 成功は質的なもの、量的なものであり、他方幸福は各人のもので、質的なものである。」

 (三木清 人生論ノート)

 

幸福は存在に関わり成功は過程にかかわる。幸福は過程ではなく、何かを達成しなくても今こうして生きていることがそのまま幸福だということ。ある経験をしたからふこうになるわけでもなく、幸福になるわけでもありません。

 

対人関係のなかでしか人は幸福になれないのです。アドラーはあらゆる悩みは対人関係の悩みであるという云い方をしています。対人関係に傷つくのを恐れる人はいますが、対人関係は幸福の源泉でもあるのです。人と人との関係のなかにあって初めて生きる喜び、幸福であるという感覚を持てるということが本当だと思う。

 

対人関係に入って行くとき、自分に価値があると思える時に勇気が持てる。そのためには貢献感が必要。今の時代は生きる人の価値を生産性にしか求めないということが大きな問題だと思います。何が出来るかにしか価値を置かない。相模原のとても不幸な事件をまねいたような、そういう価値観を完璧に転倒しなければいけないと思う。

 

 

 

[ 読書のじかん ] comments(0) / trackbacks(0)
ENTRY BOTTOM             
田辺聖子 著 『花衣ぬぐやまつわる』

 

2カ月ほども前だったでしょうか。積読の山から発掘して読みました。大正から昭和の時代を生きた杉田久女という俳人を扱った小説です。

 

明治23年に官吏の娘として鹿児島で生まれ、父の転勤に伴って沖縄や台湾でのびのびと成長し、現在のお茶の水女子大に進学しました。やがて東京芸術大学を卒業した杉田宇内と結婚。貧しくとも芸術のある生活を胸に中学美術教師の妻として過ごしながら芸術への意欲の乏しい夫に失望していきます。ふたりの女児をもうけた26歳のとき、訪ねてきた自身の兄から手ほどきを受けて俳句に出会います。

 

本の題名にもなっている久女の代表句「 花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ  」は大正8年(29歳)の作。ホトトギスを運営していた高浜虚子は俳壇の実力者であり、そのころの俳壇の状況や女性俳句というものがどのような状況にあったかも小説の中に知ることが出来ます。文句なしにいい句というものはあるのでしょうが、やはりどんなものにも師系があったり認められたり認められなかったりするのが人の世だよなぁなどと思いつつ。

 

有名な「足袋つぐやノラともならず教師妻」は大正11年(33歳)の句。その頃、のちの俳壇をリードすることになった橋本多佳子と出会い俳句の手ほどきをしています。

 

当時のサロンだとか、お金があればどうだとか、人の相性だとか。久女は意欲も能力も秀でていて、まただからこそいささか疎んじられるところがあった人なのだろうなぁと思います。本当に一生懸命。うちこんだらトコトンというか、秀でた人は大概執着質だと思います。だからいいとか、よくないとかそういうことではなく。

 

昭和6年(41歳)にはホトトギスの同人に推挙され、女性のための俳句雑誌を創刊し、「谺(こだま)して山ほととぎす欲しいまま」の句で賞を受けるなどした花咲く時期を過ぎ、昭和11年(46歳)には突然同人から削除されます。新興俳句運動のごたごた時期と重なりますが、おそらく久女はその性分と行動が虚子の怒りをかったのではないかと思われます。必死で虚子を慕っていたにもかかわらず。

 

ホトトギスから遠ざけられた久女ですが、他の結社にうつることもせずホトトギスに投句をつづけました。わかってもらえると思ったのかなぁ。同人を削除される以前句集を出すことを虚子に認めてもらい序文をもらいたいと切望した久女でしたがそれもかなわず。実力もあり、必死な人だけに、酷い。

 

終戦直後昭和20年にバランスを崩し精神病院に入院。21年(56歳)に肝臓病悪化のために死去。もとは栄養失調が原因と思われます。昭和27年長女によって句集はやっと出されました。

 

言動が常軌を逸しているといった暗い評判の中に生き、亡くなってからもその色に包まれることになってしまった久女をあたたかい目で検証している作品です。めぐりあわせた人生は最終的には引き受けるしかないし、人生は何処かで必ず終わりを迎える。その当たり前のことをワタシは自分のこととできるのかわかりませんが、不器用でも、空気をよめなくても、必死で生きて死んでいったんだよね久女さん!と、読み終えたのでした。

 


 風に落つ楊貴妃桜房のまま
 朝顔や濁り初めたる市の空
 蝉涼し汝の殻をぬぎしより
 冬服や辞令を祀る良教師
 虚子留守の鎌倉に来て春惜しむ

 鳥雲にわれは明日たつ筑紫かな

 冬の朝道々こぼす手桶の水

 熟れきって裂け落つ李(すもも)紫

 ぬかづけばわれも善女や仏生会

 かくらんに町医ひた待つ草家かな

 朱欒(ざぼん)咲く五月となれば日の光り

 汝を泣かせて心とけたる秋夜かな

 我を捨て遊ぶ看護婦秋日かな

 バナナ下げて子等に帰りし日暮れかな

 紫陽花に秋冷いたる信濃かな

                                                  

[ 読書のじかん ] comments(2) / trackbacks(0)
ENTRY BOTTOM             
こうの史代『 世界の片隅に 』

 

ロングランがつづいている映画に行こうと思いながら、今は日中の上映なので出掛けにくく。何となく観ないままも心にかかり。原作の漫画の方を読みました。

 

こうのさんのお母さまのご実家が呉市なのですね。ワタシもこの前親戚の法事で出掛けました。広島市と呉市。本当はもっときちんと知っておくべきことが沢山あるにちがいないのになと、うしろめたいような。

 

漫画に出てくるような、女の子のつかう古い広島弁。そうそう、今もつかうかたがいらっしゃいます。やーんわりとしている。

 

はずかしく思うのは、自分の欲張りすぎなことかなぁ。自分の居場所を大切に思うきもちのいい加減さというか。暮らしぶりそのものかなぁ。自分の怠惰さかなぁ。

 

戦争のこと。戦争になったとしたら。戦争にならないように。ごく簡単に捨てられ、理不尽に踏みつけられ奪われる大切な大切なもの。

[ 読書のじかん ] comments(4) / trackbacks(0)
ENTRY BOTTOM