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特定秘密保護法採決と開戦記念日
おそらく、 戦争が始まったとき、人は恐れるよりも非日常にうきうきするのだと思う。あまりに馬鹿げたことも理不尽なことも地獄も隠されてしまふ。息子を戦争にとられるのは絶対に嫌だ! 後になって生きていたとして、今のこの時にどんな気持ちで採決を見ていたのか?と子どもたちに問われることになると思ふ。知識が足りないけれど、秘密領域が必要だとしてもこの粗雑なやり方はあまりにひどいと感じる。担当大臣が女性なのもきもちがわるい。
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まず、総理から前線へ。
          

          「広告」1982年6月号(デザイン:浅葉克己/コピー:糸井重里)


糸井さんのコピーを借りて申し訳ないけれど、文字通りそう思う。少し前、20代の甥っ子と話していて、自分の言葉にギクリとした。「お金が無いものから戦争で命を取られるんだもの、人権もへったくれもないわよ!」と。どういう話の行きがかりだったか? 戦争は究極の「貧困ビジネス」と書いていたのは今日の新聞の意見広告。しかし今の時代、果たして戦争で儲かるのか?

自民党の憲法草案というものを読んでみようと思ったのだけど、何せ解説付きで無いとどこが要点なのか理解できそうもなくて。解説が妥当なものかどうかは読みながら考えるとして、何処かにわかりやすい解説が無いかな?」とウロウロ。適切かどうか定かでないにしても、おおよそ自民党が何を考えているのかわかりそうで、かつワタシでもそれなり理解できるかな?と思った頁がこれとかこれとか☛ マガジン9  Good by! 
自民党案だとまず臆面もなく 「天皇を元首」としているところからして唖然。

そして、井上ひさしさんの「子供につたえる日本国憲法」を読む。絵本だから寝っ転がってすぐに読めるところがつくづく有り難い。そして、それは井上さんの訳のせいだけではなくうつくしい。本質が素直で胸を打つと思う。

政治的な事情があるとしても、自民党の改正案はワタシは決して認められないと改めて思ふ。改正が絶対ダメと思うわけでもなく。何かしら主義主張をしたいわけでも運動をしたいわけでもないけど、ふつうのおばちゃんとして自分のためにそう認識しておくだけでもしておきたいと思っただけ。もし万が一、やすやすとたしからしい何かに流されているだけだとしても認識は無駄にはならないと思ふ。



 
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映画 「 白バラの祈り 」
三谷幸喜さんの作・演出の舞台「国民の映画」をDVD視聴しましたので、
それに関連した覚書を4つ転記しています。


2007 / 1 / 21  の
覚書を「群青色」から転記しました。



                   



映画「白バラの祈り」のこと 
公式

この映画は1943年ミュンヘン大学を中心にしたナチスへの抵抗運動
「白バラ」(Die Weibe Rose)を題材にしています。「白バラ」はミュンヘン
大学の学生ハンス・ショル(25才)とその妹ゾフィー・ショル(21才)
がリーダーとなり、キリスト教の忍耐と正義を信奉していました。白いバラ
に参加した学生はフランス侵攻、東部戦線に参加したドイツ陸軍の帰還兵で、
彼らは東部戦線における惨状を目にしていたのです。

1942年から1943年にかけて、反ナチスの6冊のリーフレットを作成し配布、
大学の門などミュンヘンの市街のあちこちにに反ナチスのスローガンを書く
などしました。1943年の2月18日にはミュンヘン大学の講義終了にあわせ
てリーフレットを配布。  ゾフィーは中庭の屋根にのぼりそれを下の学生
にばらき、彼女はナチス党員である門衛に発見されて兄とともにその場で逮
捕されました。

この作品は、その逮捕から取り調べ、裁判と処刑までのたった5日間をでき
るだけ事実に忠実に映画にしようとしたものです。白バラについてはこれま
でも映画化されていますがが、今回の映画化の意義は、これまでソ連軍から
東ドイツに渡り公表されていなかった秘密警察(ゲシュタボ)によるゾフィ
ーの尋問調書や記録が公開されたことで、詳細な真実が明らかになったとい
うことがあります。

映画の大半は尋問官のモーアとゾフィのやりとりですが、ふたりの心の動き
と言葉の応酬は見ているものを強く引き付けます。きわめて冷静に尋問官モ
ーアの質問をかわすゾフィーはいったん釈放されそうになりますが、証拠品
の押収によって嘘がばれてしまい、ついには自白に追い込まれます。貧しい
生まれのモーアは英米の自由主義ではなくナチスの国家社会主義こそがドイ
ツを救うと考えていますが、、リベラルな家庭に育ったゾフィーは罪のない
ユダヤ人や知能に障害を持った人を社会に不必要だと判断して「処分」する
政権は間違っているとモーアに畳み掛けます。そのやりとりによってモーア
はゾフィーの態度に感じるところがあり、ゾフィーが自分が間違っていたと
いうことを認めれば救う方法もあると提案します。しかしゾフィーはその申
し出を断り調書に署名しました。

白バラ運動の裁判のために有名な狂信的な判事のローラント・フライスラー
がベルリンからかけつけ、事件から4日後の22日に裁判は行われました。
周囲の人々にも最後まで優しく接したゾフィーのわずかな涙のシーンは監督
のオリジナルで、通してほとんどゾフィーは感情を昂ぶらせたりはしません。
激怒しているのはフライスラー判事だけです。そして、法の猶予は99日間
あるにもかかわらず当日に即決処刑。感傷の余地もなくゾフィーは斬首され
て、映画は終わります。

若い聡明な女性、あるいは少女といっても良いかも知れないゾフィーに深い
敬意を感ぜざるを得ません。若さゆえの直裁さが良いとばかり思うわけでは
なく、戦時教育によってどこまでも残酷であったり愚かであったりさせるの
のもまた若さです。もっともっとずるかったり汚れたりすることもいいので
はないかという気持ちもぬぐうことができません。けれども彼女は、人は何
者によっても侵されることのない己を持つことができるということを、見せ
てくれています。ヒトラーの秘書だったトラウドゥル・ユンゲの言葉を借り
れば、やはり目を見開いていること、知ることを怠ってはならないのだと思
います。ワタシたちは否でも応でも日本という国と一蓮托生であり、今はお
そらく戦前なのだから。

 



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映画 「 アドルフの画集 」
 2007 / 1 / 15 の覚書を「群青色」から転記しました。


                  


映画「アドルフの画集」 のこと 

アドルフという名の青年はかのアドルフ・ヒトラーです。ヒトラーが画家を
志して美術大学を受験したことはよく知られているようですが、ワタシはこ
の映画が公開されるまで知りませんでした。美術大学の試験に2度失敗して
いますが、実技試験は通っていたのだそうです。

映画は第一次世界大戦後の1918年のミュンヘンが舞台になっています。遅筆
堂先生のおかげで読んだエーリッヒ・ケストナー関連の本で少し親しみがわ
いた時代です(ヒトラーがケストナーより10歳歳上)。
第一次世界大戦敗北を契機として勃発したドイツ革命によって、当時世界で
最も民主的な憲法とされ、斬新な人権保障を規定したヴァイマル憲法が出来
るといった新時代の明るさ。ベルサイユ条約による多額の賠償金によって国
内の経済が圧迫されてのインフレ、世界恐慌。混乱と低迷、未来への希望が
入り混じった時代です。

身寄りもフィアンセも職も住むところも失った多くの帰還兵のひとりだった
アドルフは、孤独と困窮のなかで自分の芸術を探していましたが、そんな時
に裕福なユダヤ人画商マックスと出会います。(原題は「MAX」。)マックス
は架空の人物ですが、アドルフに自身の絵画を見つけるように示俊し助け、
友情のようなものが芽生えていきます。飄々としたマックスと神経症的なア
ドルフ。マックスは戦争で片腕を失っていましたがそれ以外のものはすべて
所有している人物、かたや何も持たないアドルフという構図の中で、若きア
ドルフの怒りや焦り、痛々しいほどの自尊心が描かれています。

実際のヒトラーは軍の情報関係の仕事を続けるなかで、ほんの小さい団体で
あった「ドイツ労働党」に入党。党から演説者としての力量を認められてお
り、民族主義の宣伝活動家の養成のためのプロパガンダの講習を受けるなど
しています。興奮してくるとますます聴衆をひきこむ扇動的な演説により多
くの党員を獲得し、1921年には「国家社会主義ドイツ労働者党」の党首
になりました。

映画の中のアドルフは、芸術の対象として絵画をとるか政治をとるかの選
択に迷い、軍の上官とマックスの間で揺れ動いています。人は誰も悲しいほ
どに「自分がここにいる」ということを何かの形で認められることを欲して
いるとすれば、圧倒的に個々の人間が軽んじられる戦争を経験した孤独な青
年のアドルフが、直裁に自分を認めてくれる聴衆の反応を浴びることの方を
選んだというのは自然に理解しやすいことです。

独裁者さえも何かしら怪獣のように急に登場するものではなくみんなから受
け入れられ、あるいはみんなが作った物語がそれを育て、時代がそれを作っ
ていくということを感じます。議会でナチ党を第一党にしたのは誰かが無理
じいしたことではなくて、選挙で決めたことなのです。

映画に出てくるアドルフは、現実では15年後(1933年)に首相になったこ
とになります。そのなかで教育はどんどん窮屈になり、アドルフが首相にな
った年に「飛ぶ教室」を書いたケストナーは、本を燃やされ執筆を禁じられ、
秘密国家警察にいつ殺されてもおかしくない状態になったのです。それはヒ
トラーが自殺する1945年まで続きました。

映画の中にもアドルフが描いた建築物が出てきますが、ヒトラーが熱烈に支
持した建築家シュペーアの「廃墟価値の理論」は、新築されるすべての建築
は、数千年先に美学的に優れた廃墟となるように建築されるべきだという考
えでした。古代ギリシア・古代ローマの廃墟がその文明の偉大さを象徴して
いるように、その廃墟が第三帝国の偉大さを後世に伝えるべきだと考えたの
です。建築物もさることながら、彼の芸術としての政治は、最悪の作品を残
してしまったと思わざるを得ないのです。





原題は「MAX」 ・ マックス。 物語の中で画商を演じたジョン・キューザックの
役名がタイトルになっている。



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映画 「 ヒトラー最後の12日間 」 ( 転記 )
 2007 /  1 / 10  の覚書を「群青色」から転記しました。


    


ワタシたちはイラクの独裁者だったサダム・フセインが69歳で絞首刑にされ
たのをごく最近目の当たりにしました。刑が執行される直前どういう言葉を
発していたのか、死顔がどのような面差しであったのかということまでをも
世界中の人がTVの画面で目にしたのです。イラクでは絞首刑のまねをしてい
た子どもが死んでしまうという事故まであったそうです。フセインがどれほ
どの咎をうけても足りないのは明らかですが、このような刑の執行は異常な
ことなのではないかと強く感じました。そのとき、刑が執行されることを知
らなかったはずはないアメリカ大統領はやわらかいベットで眠っていたので
しょうが、このようにして時代は進んでいくということを実感させられた出
出来事でした。

映画の方はといえば60年あまりの時間を経た独裁者の最後をドキュメンタ
リー的に描いた映画、「ヒトラー最後の12日間」。同じ第二次世界大戦の
終わりを描いた「太陽」は昭和天皇ヒロヒトがロシアの監督によって人とし
て描かれたものですが、こちらはドイツ人自身の手によってこれまでのタブ
ーを破るかたちで作られました。陥落寸前のベルリンの地下壕が舞台である
ことで、やはり「太陽」を思い起こさずにはいられませんでした。

歴史家ヨアヒム・フェストの
「ヒトラー最後の12日間」と、アドルフ・ヒ
トラーの秘書を3年間つとめたトラウドゥル・ユンゲの
「私はヒトラーの秘書だった」を原作にしており、ヒトラー自身のみならず
ナチスの中枢にいた人々を人間的に描いています。原題は「Der Untergang・
滅亡」です。愛犬家であるヒトラーや、身の回りの人に優しい言葉をかける
ヒトラーも中に見ることができ、美化しているとか人間的に描き過ぎている
といった意見もあえて受け止めようとしている作品のように思えました。

状況は末期的で、檄をとばしても戦える部隊はどこにも無く、ロシア兵がす
でにベルリンに進んできています。ヒトラーに忠誠を誓った子どもたち(
ヒトラーユーゲント・10歳以上の男女)や老人も戦わざるを得ませんでした。
降伏を拒むヒトラーに、建設相のアルベルルト・シュペーアが国民をまきぞ
えにしないでほしいと頼みますが、ヒトラーはこれは国民が選んだ運命であ
って自業自得だと言います。彼が国民に課した試練を国民が果たさなかった
時、憎悪は国民にさえ向けられたという事実。ヒトラーの最後。

国民突撃隊最高司令官であったハインリヒ・ヒムラー、映画の中では人道的
なエルンスト・ギュンター・シェンク博士、プロパガンダを担ったヨーゼフ・
ゲッペルスとその一家、ヴィルヘルム・モーンケ 親衛隊小将・・。最後に
ユンゲは少年と一緒にロシア兵の最中を歩いて逃げ、少年が見つけた自転車
で旅立ちます。それは敗戦直後のたくましい日本人と重なって見えました。

最晩年のユンゲ本人が映画の最後に登場して語ったことはこうです。

 『ニュルンベルグ裁判で恐ろしい話は聞きました。600万人のユダ
  ヤ人や人種の違う人々が無残に殺されたと・・。これらの事実は大
  変ショックでした。でも私はそれを自分と結びつけられず、安心し
  ていたのです。“自分に非は無い”“自分は何も知らなかった”そ
  う考えていました。でもある日、犠牲者の銘板を見たのです。ゾフ
  ィー・ショル(
「白バラの祈り」)。
  彼女の人生が記されていました。私と同じ年に生まれ、私が総統秘
  書になった年に処刑されたと。その時私は気づきました。若かった
  というのは言い訳にならない。目を見開いていれば気づけたのだと。』

政治に対する考えはさまざまがよいと思います。すっきり一元化されること
こそ何よりも恐ろしいことだと思います。時の総理が口にする「美しい」は、
ある意味そのすっきりを意味していないかどうか不安に思えるのです。防衛
庁が防衛省になったことも、教育基本方が改正されたことも、目を見開いて
見ておこうとあらためて思ったのでした。







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アンヌ・モレリ著 「 戦争プロパガンダ10の法則 」
 2006 /  7 / 11  の覚書きを「群青色」から転記しました。

 
            


戦争プロパガンダ のこと

第二次世界大戦において行われた戦争犯罪を裁いた国際軍事裁判はニュルン
ベルグ裁判と言われる。新聞で読んだのだっただろうか、ヒトラーの右腕で
だったヘルマン・ゲーリングは「なぜドイツはあのような戦争を始めたのか」
と訊ねられてこう答えたという。

「もちろん国民は戦争などのぞんでいません。でも実は戦争を起こすことは
簡単です。自分達は今攻撃されかけていると危機を煽り、そしてこれに反対
する平和主義者に対しては、おまえたちは国益を害していると恫喝すればよ
いのです。これを繰り返せば国家など簡単に戦争に向かいます。」

「プロパガンダ=宣伝」するマスメディアには責任者がいないことを思えば、
空恐ろしくなるのはワタシだけではないだろう。メディアが発達して正しい
情報がつかみやすくなったにもかかわず20世紀が「戦争の世紀」になって
しまったのは、同時にプロパガンダがいとも簡単になったせいだとも考えら
れる。現実に大戦中の東条英機の支持率というのは決して低くはなかった。
先日猪瀬直樹氏だったか、町の声などというものは大本営発表と何ら変わら
ないという意のことを語っていらしたが、マスメディアに犯された市民たる
や大方そのようなものであると、自分を振り返っても思われるのである。

第一次世界大戦のプロパガンダについて研究したアーサー・ポンソンビーの
著作を元にして書かれた現代の著作
「戦争プロパガンダ 10の法則」を読

んだ。1章に1つずつの法則が説明されており、10章からなっている。

第1章 「われわれは戦争をしたくはない」

第2章 「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」

第3章 「敵の指導者は悪魔のような人間だ」

第4章 「われわれは領土や覇権のためではではなく、

     偉大な使命のために戦う」

第5章 「われわれも誤って犠牲を出すことがある。

     だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」

第6章 「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」

第7章 「われわれの受けた被害は小さく

     敵に与えた被害は甚大」

第8章 「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」

第9章 「われわれの大義は神聖なものである」

第10章 「この正義に疑問を投げかける者は
     裏切り者である」

つい最近かのブッシュ氏から聞いた言葉ばかりだと思わない人は誰もいない
だろう。  



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