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映画 『 マイ・マザー 』

 

「たかが世界の終わり」がたのしかったので、グザヴィエ・ドラン監督の作品を観てみたくなりました。本作は6歳の時から子役を始めた監督本人が17歳の時に書いた脚本を自ら監督・主演。19歳での監督デビュー作です。早熟だなぁ。

 

ストーリーは2人暮らしの母と息子の思春期の微妙な関係。題材は誰もが経験する成長のための通過儀礼ですが、どうしてこうもきちんと見せることができるんだろう? ひとりよがりになることなく、10代のころの母親へのザラッとした嫌悪感をよみがえらせます。しゃべり方、食べ方、態度。

 

この早熟な監督の洗練され方を感じることも含めて、作品全体の魅力なのでしょう。

 

 

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映画『 美しい星 』

  「美しい星」公式HP

 

観てきました、異色作。作品への興味半分、蔵さんを見届ける使命半分といったところでしょうか。ストーリーは説明できません。笑

 

めっちゃざっくり言いますと、原作は三島由紀夫さまでございまして、監督は吉田大八さん。三島が小説を書いた当時は米ソ冷戦時代。おそらく、核の危機を当時注目のSFに落とし込むといった具合かと。そしてその小説を、初めてそれを読んだ大学生の時に映画化したいと思った吉田監督。

 

三島が生きていた当時、本人も「実にへんてこりんな小説」と言っていて、大島渚か市川崑にしか撮らせないと言っていたと、どこかで読みました。原作は読んでいませんが映画を観る限り、すごく異色なんですもん。単純理解できないし。自由だけど駆られるものがあるわけですし、人類たるものを救うべきなのか?とか考えなくちゃならないし、橋本愛ちゃんはうつくしいし。です。

 

三島が書いた核の危機を地球温暖化に代え、時代も現代に移して映画は展開します。のっている吉田監督ならではの力技では? 蔵さんのことは客観的に判断しがたいですが、きちんと役を考えたうえで吉田監督がキャスティングしてくれたと思うとうれしいでございます。

 

観終わったあとくスッキリ!はしがたいですが、それはそれで良しかと。何といいますか。有意義だとか、名作だとか、カテゴライズや答えや評価がハッキリした、そういうものばかり観てはいけませんよねー。おもろいです。

 

 

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映画 『 裁かれるは善人のみ 』

 

この監督の映画は観ることに決めています。しかし、気軽には観れません。

 

自動車修理工場をしているコーリャは若くて美しい後妻のリリアと、先妻とのあいだのムスコのロマと暮らしています。ところが選挙を控えた市長が権力にものを言わせてコーリャの住んでいる土地を無理やり買収しようとしていて。コーリャはモスクワから友人の弁護士ディーマを呼び寄せ対抗しようとするが、、。

 

キリスト教的な課題と神話をベースにするアンドレイ・ズビャギンツェフ監督の、またもゆるぎない作品でした。残念ながらワタシには何もかもを汲むことは出来ないわけですが、国家と教会の結びつきなど日本人にはわからない不気味さです。司祭は神の名のもとに市長を正当化してしまうあたり、異常にストレスフル。神の真実は都合よく解釈され、神は不在のまま。

 

弁護士のディーマが追い払われてしまえばコーリャは為すすべは何もなくなってしまう。ただただ降りかかる災いに翻弄され、唖然としつづけるだけ。

 

国や権力や教会といった男たちの流れはそれとして、美しいリリアも追い詰められていきます。リリアが海で見たものはおそらく鯨で。リリアはどう生きればよかったのか。父権的な権力の世界で。

 

絶望的な暗さと重たさがそれ故に作品を引っ張ってゆき、短くない時間、その世界に身を浸されながら過ごしたのでした。

 

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映画『 めぐり逢わせのお弁当 』

 

 

もう3年くらい前の映画でしょうか。当時インド映画らしからぬこの作品は人気があった気がします。インドの大都会であるムンバイで、家やお店からお弁当を配達し、回収するしくみがあることも新鮮でたのしい題材ですね。弁当配達人はダッパーワーラーと呼ばれるそうです。

 

ある日料理を通して夫の愛情を取り戻そうとする主婦のイラのお弁当が、あやまってサージャンという初老の男の元に届きます。繰り返して誤配されるあいだにふたりは手紙をやりとりすることになり、こころを開いていきます。

 

インドだろうが年齢がいくつだろうが、こころを通わせることができる人がほしいことにかわりないですね。まだ中年にもならないイラには一人娘がいて、夫はしごとに忙しいし心はまったく家庭にあらず。イラの気持ち、よくわかりますよね。サージャンは妻に先立たれていてイラのお弁当と手紙に心を動かされていく。50代の悲哀、これもよくわかる。会わないふたりのラブ・ストーリーといったところでしょうか。

 

結末ははっきりとは描かれませんが、まあそれはそれでよし。しかしねー、もしハッピーエンドであったとしてもしあわせいっぱいってものでもないんだよね、と思ってしまうのはおばちゃん心でしょうかね。あ、そうそう。「人は間違った電車でも正しい場所に着く」という言葉が中で繰り返されるのだけど、どう解釈すればいいのかワタシにゃよくわからず。

 

たのしかったですが、気軽なものを観たかったわりに、ワタシはいささかもやっとしたのでしたよ。

 

 

 

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シネマ歌舞伎予告

  公式HP

 

昨日、お昼前だったでしょうか。カヨさんからライン。「たまの休みで体調もよくないんだけど、気分が滅入ってきたーーー。オススメの映画と上映時間を教えて!ダンナも休みなんだけど煮詰まってきたー。いけない奥さんかなぁ。」とのこと。 とりあえず「 うーむ、オススメは特に無いけどライオンでどうかしら? 何時と何時よ。映画でも美術館でも買い物でも行くべし!」と、返事しました。

 

出かけたいと思っているけど、それじゃあダンナに悪いと思っているということを、付け加えたいきもちなんだなぁと思いました。誰も自分のことは自分で決めるしかないし、人に言われてどうこう出来るもんでもないでしょう。

 

それから風邪っぴきのカヨさんはわざわざバスで街中まで出かけて、ライオンを見て、自分でも困るほど泣いたんだそうです。もやっとしてる時にいっぱい泣けて良かったなぁ。

 

でも出かけたせいだか今朝は、喉も痛くて下痢だそうでトホホ。まあ、しゃあないですねー。かよさんはワタシより10ほども年上ですが、いくつになってももがく時はもがくしかないといこうとなんでしょう。人生何時でも過渡期?!

 

兎も角、そんなことで映画館のHPに行きました。何時もは時間が長くて諦めているシネマ歌舞伎が今回は1時間半!! 今度こそまいりますわ。歌舞伎座もお江戸も無理でも映画館なら行けるもんねーーー。

 

 

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映画『 沈黙 』『 LA LA LANDO 』

  

 

どちらも映画館で観れてよかったなぁ。

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映画 『 たかが世界の終わり 』

 

2016年

原作 ジャン・リュック・ガラルス『 まさに世界の終わり 』

監督 グザヴィエ・ドラン監督 ( Mommy/ マミー )

俳優 ギャスパー・ウリエル  / ナタリー・バイ  / レア・セドゥ / ヴァンサン・カッセル / マリオン・コティアール 

音楽 ガブリエル・ヤレド

 

観終わってから知ったことは、もとは舞台劇の脚本だということです。それで、ああも息がつまりそう。未だに28歳のグザヴィエ監督の前作は観ておらず。役者が豪華ったらありません。レア・セドゥにつられて観に行ったような気もするぞ。

 

どうやら原作の『まさに』は『たかが』に少し変えられているらしい。まさに と たかが の違いはなんだろうなぁ。

 

劇作家として成功した34歳のルイは自分の死がちかいことを家族に告げる為に12年ぶりに帰ってきたらしい。迎えるのは母親と兄、妹のシュザンヌと兄嫁のカトリーヌ。 母親は必要以上にはしゃぎ(ああ、ひとごとではないわ)、兄は同性愛の弟を理解できないし、どうやら日ごろから怒りを爆発させたりしてうまくないらしいことが察せられる。ルイが出て行った時にはまだ幼かったらしい妹はルイを歓迎しているけどぎこちない。ギクシャクする家の中に平素から身を置いている唯一の他人であるカトリーヌがいちばんルイの帰宅ときもちを理解したのかもしれない。

 

ルイは告げようとしていたことを告げることもなく、家族はより傷つけあった形で終わる。これといった事件は起こらず、しかし息がつまる。家族とはそういうものだと思う。思い合ってはいるのだけれど、傷つける言葉をつかってしまう。本気なのかどうかもわからない。言いたいことの何も通じない。

 

ドラン監督はカンヌの授賞式でこうコメントしたそうです。『 登場する人物は意地悪く、時に毒を吐きますが、何よりみな心に傷を負った人たちです。彼らは我々のまわりにいる人たち、母や兄弟、姉妹たちの多くがそうであるように、恐怖を感じ、自信を失い、愛されていると確信できないで生きています。そんな登場人物たちの感情を描き出すことを目指しました 』。

 

いやはや草臥れますよ。映画でまでこんなものに直面すべきかどうか。表だっているかどうかはわからないけど、どこの家にも必ずあるものだから。心の揺れや痛みに寄り添わずには観れないから。音楽にも確実にやられます。

 

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映画『 破門 ふたりのヤクビョーガミ 』

   公式

 

蔵さんの出演映画を久しぶりに観ました。はいはい、久しぶり。だってねーー。バイプレイヤーでいてほしいと思うんですが、誰もふぁんの思うようなしごとばかりをするわけでなし。この作品だって橋爪さんも出ていらっしゃれば國村さんも出ていらして。なんていうのか、役者さんのセルフプロデュースのありようというものは難しいものなんでしょーねーー。

 

兎にも角にも。まあ、ワタクシとしましては蔵さんに義理立てたいものの、無理は禁物という具合。笑 山登り映画とか、嫁さんが幽霊になって帰ってくるのとか、またも参勤交代するやつはお休みした次第です。

 

でね、こののんきな映画を観に行きましたよ。いや、もうのんきのんき。集客しているのか、評判はどうなのか、なんてことはもう気にならず。続編が出来ようが出来まいがそんなこともおまかせ気分。蔵さんのビジュアルにうっとりするわけでもなく。お気楽に、ここちよいお気楽映画を観たのでした。めでたしめでたし。

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映画 『 永い言い訳 』

  永い言い訳 公式

 

2週間ほど前に観ました。邦画2連ちゃん。西川監督は広島の人だし、知り合いの知り合いみたいな親近感を勝手に抱いており、女の人だし。西川作品は、観てる間にチクンチクンと押される感じがすきです。えーと。結論から言うと、舞い上がるほどサイコ―!!って風には感じませんでしたけれど、観てよかったなぁと思いました。たぶん、それで充分ですね。

 

人気作家のモックンは妻を不慮のバス事故で失う。親友と一緒に事故に会い、親友も亡くなる。その時モックンは(作家の本名は衣笠幸男、あのカープの鉄人と同じ発音)担当編集者と不倫中だった。そして人気作家の彼は世間が求める事故被害者の家族としての、理性的で文学的な情緒を滲ませた態度を演ずるということしかできない。一緒に亡くなった妻の親友の家族と出会ったモックンは、幼い彼らの世話をすることになる。。。

 

ワタシ個人はおそらく人並みよりもだいぶ薄情なので、人は案外薄情なんじゃないかと思っているところがあって、泣けない幸男はありがちな状況なのじゃないかと思ってしまったのでした。親友のダンナの竹原ピストル氏のような人がいらっしゃるのもわかるし、もしかしたら自分の中にもそういうところはあるのだろうけれど。

 

まず冒頭の幸男が妻に散髪してもらう場面が印象的。幸男は妻が、作家としての津村啓という名前では無くて、人前でも幸男クンと呼ぶのが気に入らない。理屈じゃなくて嫌なんだよね、とそれはわかる。妻は長く売れない作家の幸男クンを支えてきたのに、すっかりハイカラな自意識過剰な作家をやっている夫に対して複雑な、あるいは突き放した気持ちがある。そうよなぁー、家族はそういうものだろう。つーか、夫婦はそういうものだろう。そのシーンを布石にして映画は進んでいく。

 

作家のモックンは津村啓としての存在もやや窮屈。有名人ならエゴサーチしてしまうんだろうなぁ。

 

竹原ピストルの子供たちと触れ合い時間をともにする幸男はいっきにほどかれ、夢中になり、あたたかくやすらぐ。必要とされるということの即効性を思ふ。誰も必要とされたいのだもん。12歳の少年と5歳の少女の作品の中での愛しさ。ごしゃごしゃーーっとした彼らの部屋で過ごすことで、少女を載せた自転車で坂を上っていくことで、幸男は安心した。幸男クンだった。

 

そうやって関係を深めていっても関係性というものは変化してゆくのだけれど、それは映画に限らずそうだけれど、それを引き受ける勇気のある人になるべきなんだろう。自分を何かしらそこそここけていない人として盛り立てたりせずとも、もうまんま自分は自分だと思えるようであるべきなんだろう。そのことは、大げさでなくとも肯定されてたり、受け入れられたりすることで得るものなんだよねぇ、と思う。

 

もっといろいろを汲み取るべきなのかもしれないのだけど、みんなが幸男クンなんじゃねーの? それで、幸男くんみたく、恥かきながら自分を引き受けることを覚えて、勇気凛々で生きていかねばならないんじゃねーの? とかとか。そうそう、池松クンの役の編集者、なんかよかったです。あ、あ、岩井秀人さんが見れたのもよかった。

 

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映画 『 淵に立つ 』

 

公式  日本/フランス 2016年 119分 監督・脚本・編集 深田晃司

キャスト 浅野忠信 古館寛治 筒井真理子 大賀 他

 

あーっという間に11月が始まって、あんなに暑い暑いとばかり思っていたのにもう気配は冬ですなぁ。ふだん怠けっぱなしなものですから、ちょいと行事をやるとなるともうもう大事でございます。で、泥縄泥縄。でもねー。お尻に火が点くのは2日とか前ですのであっぷっぷ。もうちょい何とかしましょーねー来年から。つくづく無理がききませんぜ。

 

ま、そんなこんなで終わりまして、晴れて気分爽快! 足取り軽く映画にも行けるというもんです。うふふっふーーーっ。しかーーし、

 

いやいやいやーーー。気楽に中身も知らないで観に行ったことを後悔しましたです。いいとか悪いとかわかんないけど。映画的なたのしさは兎も角、展開にこころを添わせておくのがしんどいんですわ。つらーーーっ。めっちゃつらーーっ。で、考えたくない。逃避じゃ逃避。しゃしゃっと映画館を去ったのでございますよ。こうゆうのに限ってずーーっと忘れないんだろうなぁ。

 

筒井真理子さんという女優さんはむーかしからなんとはなし存じておりますが、第3舞台でいらしたんですね。きれいな方ですが、映画の中の変化がリアルでございます。浅野さんの映画なのかなぁというイメージでいたのですが、筒井さんの映画じゃなかろうか? 石鹸でしつこく手を洗うところなど、どろどろ凄過ぎないところが却ってつらい。後半で屋上にしゃがみこんでしまうところなど、中年以降の女性はみなじぶんを見るんじゃなかろうか。あんなに美人じゃないにしろ。

 

これまた「南極料理人」のあたりからなーんとなく存じている古館寛治さん。青年団でいらしたんですなぁ。舞台の人とは存じてましたが、そうかそうか。こういう人物ってどーだろなぁ。どうして筒井さんが演ってるようなきれいな人と結婚したのかなぁとか、ちっちゃい人物なのかもしれないけどことさらでもなく。そういう加減の良い人として存在できる俳優さんなのね。

 

あとは太賀さんという若者。何処かで見たことありますが、こちらもすこぶる程よい。中野英雄さんのご次男ですって。門脇麦ちゃんと結婚しそうとか。はんはん、わかりやした。

 

浅野さんの役のつくりは映画的なたくらみが山盛りですし、凄い。役者さんに魅力を感じたってことは観せたんだと思うんです。深田晃司監督の映画は名前は聞いたことがあるものの未見なのですが、80年生まれですって。青年団の演出だった時期があるそうで、古館さんとももともと繋がりがあるんですな。

 

監督は「家族という不条理な繋がり」ということを口にされますが、まったくそのとおり。人生を長く過ごした人にとっては実感して改めて掌にのせてじっくり考えたくないことかもしれません。しかしそこを凝縮してみせるのが映画ってもんでしょーねー。映画というもの、どんな手触りが好ましいかは人による。

 

「人間を描くということは、崖の淵に立って暗闇を覗き込むような行為」と仰ったのは青年団をなさっている平田オリザさんの言葉だそうです。英語タイトルは「Harmonium」。オルガンのこと。

 

それがいいか悪いかはこれもまたわかりませんが、日本は欧米にくらべて人間を描こうとすれば家族の関係性が自然にくる。でもなぁ、家族は解散しないにしろ、家族家族と言っていられるのは人生の何分のイチかの期間なのじゃなかろうか。緩く快適に家族は存在できないものか。。

 

深田監督の他の映画はせっかくですからDVDで見届けるとして、いやいやいやーー。この作品、人にはおすすめできないという感じ。かつ説明もしたくないといいますか。反芻するのも嫌でございます。笑 よろしければ予告など。

 

 

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