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シネマ歌舞伎予告

  公式HP

 

昨日、お昼前だったでしょうか。カヨさんからライン。「たまの休みで体調もよくないんだけど、気分が滅入ってきたーーー。オススメの映画と上映時間を教えて!ダンナも休みなんだけど煮詰まってきたー。いけない奥さんかなぁ。」とのこと。 とりあえず「 うーむ、オススメは特に無いけどライオンでどうかしら? 何時と何時よ。映画でも美術館でも買い物でも行くべし!」と、返事しました。

 

出かけたいと思っているけど、それじゃあダンナに悪いと思っているということを、付け加えたいきもちなんだなぁと思いました。誰も自分のことは自分で決めるしかないし、人に言われてどうこう出来るもんでもないでしょう。

 

それから風邪っぴきのカヨさんはわざわざバスで街中まで出かけて、ライオンを見て、自分でも困るほど泣いたんだそうです。もやっとしてる時にいっぱい泣けて良かったなぁ。

 

でも出かけたせいだか今朝は、喉も痛くて下痢だそうでトホホ。まあ、しゃあないですねー。かよさんはワタシより10ほども年上ですが、いくつになってももがく時はもがくしかないといこうとなんでしょう。人生何時でも過渡期?!

 

兎も角、そんなことで映画館のHPに行きました。何時もは時間が長くて諦めているシネマ歌舞伎が今回は1時間半!! 今度こそまいりますわ。歌舞伎座もお江戸も無理でも映画館なら行けるもんねーーー。

 

 

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映画『 沈黙 』『 LA LA LANDO 』

  

 

どちらも映画館で観れてよかったなぁ。

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映画 『 たかが世界の終わり 』

 

2016年

原作 ジャン・リュック・ガラルス『 まさに世界の終わり 』

監督 グザヴィエ・ドラン監督 ( Mommy/ マミー )

俳優 ギャスパー・ウリエル  / ナタリー・バイ  / レア・セドゥ / ヴァンサン・カッセル / マリオン・コティアール 

音楽 ガブリエル・ヤレド

 

観終わってから知ったことは、もとは舞台劇の脚本だということです。それで、ああも息がつまりそう。未だに28歳のグザヴィエ監督の前作は観ておらず。役者が豪華ったらありません。レア・セドゥにつられて観に行ったような気もするぞ。

 

どうやら原作の『まさに』は『たかが』に少し変えられているらしい。まさに と たかが の違いはなんだろうなぁ。

 

劇作家として成功した34歳のルイは自分の死がちかいことを家族に告げる為に12年ぶりに帰ってきたらしい。迎えるのは母親と兄、妹のシュザンヌと兄嫁のカトリーヌ。 母親は必要以上にはしゃぎ(ああ、ひとごとではないわ)、兄は同性愛の弟を理解できないし、どうやら日ごろから怒りを爆発させたりしてうまくないらしいことが察せられる。ルイが出て行った時にはまだ幼かったらしい妹はルイを歓迎しているけどぎこちない。ギクシャクする家の中に平素から身を置いている唯一の他人であるカトリーヌがいちばんルイの帰宅ときもちを理解したのかもしれない。

 

ルイは告げようとしていたことを告げることもなく、家族はより傷つけあった形で終わる。これといった事件は起こらず、しかし息がつまる。家族とはそういうものだと思う。思い合ってはいるのだけれど、傷つける言葉をつかってしまう。本気なのかどうかもわからない。言いたいことの何も通じない。

 

ドラン監督はカンヌの授賞式でこうコメントしたそうです。『 登場する人物は意地悪く、時に毒を吐きますが、何よりみな心に傷を負った人たちです。彼らは我々のまわりにいる人たち、母や兄弟、姉妹たちの多くがそうであるように、恐怖を感じ、自信を失い、愛されていると確信できないで生きています。そんな登場人物たちの感情を描き出すことを目指しました 』。

 

いやはや草臥れますよ。映画でまでこんなものに直面すべきかどうか。表だっているかどうかはわからないけど、どこの家にも必ずあるものだから。心の揺れや痛みに寄り添わずには観れないから。音楽にも確実にやられます。

 

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映画『 破門 ふたりのヤクビョーガミ 』

   公式

 

蔵さんの出演映画を久しぶりに観ました。はいはい、久しぶり。だってねーー。バイプレイヤーでいてほしいと思うんですが、誰もふぁんの思うようなしごとばかりをするわけでなし。この作品だって橋爪さんも出ていらっしゃれば國村さんも出ていらして。なんていうのか、役者さんのセルフプロデュースのありようというものは難しいものなんでしょーねーー。

 

兎にも角にも。まあ、ワタクシとしましては蔵さんに義理立てたいものの、無理は禁物という具合。笑 山登り映画とか、嫁さんが幽霊になって帰ってくるのとか、またも参勤交代するやつはお休みした次第です。

 

でね、こののんきな映画を観に行きましたよ。いや、もうのんきのんき。集客しているのか、評判はどうなのか、なんてことはもう気にならず。続編が出来ようが出来まいがそんなこともおまかせ気分。蔵さんのビジュアルにうっとりするわけでもなく。お気楽に、ここちよいお気楽映画を観たのでした。めでたしめでたし。

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映画 『 永い言い訳 』

  永い言い訳 公式

 

2週間ほど前に観ました。邦画2連ちゃん。西川監督は広島の人だし、知り合いの知り合いみたいな親近感を勝手に抱いており、女の人だし。西川作品は、観てる間にチクンチクンと押される感じがすきです。えーと。結論から言うと、舞い上がるほどサイコ―!!って風には感じませんでしたけれど、観てよかったなぁと思いました。たぶん、それで充分ですね。

 

人気作家のモックンは妻を不慮のバス事故で失う。親友と一緒に事故に会い、親友も亡くなる。その時モックンは(作家の本名は衣笠幸男、あのカープの鉄人と同じ発音)担当編集者と不倫中だった。そして人気作家の彼は世間が求める事故被害者の家族としての、理性的で文学的な情緒を滲ませた態度を演ずるということしかできない。一緒に亡くなった妻の親友の家族と出会ったモックンは、幼い彼らの世話をすることになる。。。

 

ワタシ個人はおそらく人並みよりもだいぶ薄情なので、人は案外薄情なんじゃないかと思っているところがあって、泣けない幸男はありがちな状況なのじゃないかと思ってしまったのでした。親友のダンナの竹原ピストル氏のような人がいらっしゃるのもわかるし、もしかしたら自分の中にもそういうところはあるのだろうけれど。

 

まず冒頭の幸男が妻に散髪してもらう場面が印象的。幸男は妻が、作家としての津村啓という名前では無くて、人前でも幸男クンと呼ぶのが気に入らない。理屈じゃなくて嫌なんだよね、とそれはわかる。妻は長く売れない作家の幸男クンを支えてきたのに、すっかりハイカラな自意識過剰な作家をやっている夫に対して複雑な、あるいは突き放した気持ちがある。そうよなぁー、家族はそういうものだろう。つーか、夫婦はそういうものだろう。そのシーンを布石にして映画は進んでいく。

 

作家のモックンは津村啓としての存在もやや窮屈。有名人ならエゴサーチしてしまうんだろうなぁ。

 

竹原ピストルの子供たちと触れ合い時間をともにする幸男はいっきにほどかれ、夢中になり、あたたかくやすらぐ。必要とされるということの即効性を思ふ。誰も必要とされたいのだもん。12歳の少年と5歳の少女の作品の中での愛しさ。ごしゃごしゃーーっとした彼らの部屋で過ごすことで、少女を載せた自転車で坂を上っていくことで、幸男は安心した。幸男クンだった。

 

そうやって関係を深めていっても関係性というものは変化してゆくのだけれど、それは映画に限らずそうだけれど、それを引き受ける勇気のある人になるべきなんだろう。自分を何かしらそこそここけていない人として盛り立てたりせずとも、もうまんま自分は自分だと思えるようであるべきなんだろう。そのことは、大げさでなくとも肯定されてたり、受け入れられたりすることで得るものなんだよねぇ、と思う。

 

もっといろいろを汲み取るべきなのかもしれないのだけど、みんなが幸男クンなんじゃねーの? それで、幸男くんみたく、恥かきながら自分を引き受けることを覚えて、勇気凛々で生きていかねばならないんじゃねーの? とかとか。そうそう、池松クンの役の編集者、なんかよかったです。あ、あ、岩井秀人さんが見れたのもよかった。

 

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映画 『 淵に立つ 』

 

公式  日本/フランス 2016年 119分 監督・脚本・編集 深田晃司

キャスト 浅野忠信 古館寛治 筒井真理子 大賀 他

 

あーっという間に11月が始まって、あんなに暑い暑いとばかり思っていたのにもう気配は冬ですなぁ。ふだん怠けっぱなしなものですから、ちょいと行事をやるとなるともうもう大事でございます。で、泥縄泥縄。でもねー。お尻に火が点くのは2日とか前ですのであっぷっぷ。もうちょい何とかしましょーねー来年から。つくづく無理がききませんぜ。

 

ま、そんなこんなで終わりまして、晴れて気分爽快! 足取り軽く映画にも行けるというもんです。うふふっふーーーっ。しかーーし、

 

いやいやいやーーー。気楽に中身も知らないで観に行ったことを後悔しましたです。いいとか悪いとかわかんないけど。映画的なたのしさは兎も角、展開にこころを添わせておくのがしんどいんですわ。つらーーーっ。めっちゃつらーーっ。で、考えたくない。逃避じゃ逃避。しゃしゃっと映画館を去ったのでございますよ。こうゆうのに限ってずーーっと忘れないんだろうなぁ。

 

筒井真理子さんという女優さんはむーかしからなんとはなし存じておりますが、第3舞台でいらしたんですね。きれいな方ですが、映画の中の変化がリアルでございます。浅野さんの映画なのかなぁというイメージでいたのですが、筒井さんの映画じゃなかろうか? 石鹸でしつこく手を洗うところなど、どろどろ凄過ぎないところが却ってつらい。後半で屋上にしゃがみこんでしまうところなど、中年以降の女性はみなじぶんを見るんじゃなかろうか。あんなに美人じゃないにしろ。

 

これまた「南極料理人」のあたりからなーんとなく存じている古館寛治さん。青年団でいらしたんですなぁ。舞台の人とは存じてましたが、そうかそうか。こういう人物ってどーだろなぁ。どうして筒井さんが演ってるようなきれいな人と結婚したのかなぁとか、ちっちゃい人物なのかもしれないけどことさらでもなく。そういう加減の良い人として存在できる俳優さんなのね。

 

あとは太賀さんという若者。何処かで見たことありますが、こちらもすこぶる程よい。中野英雄さんのご次男ですって。門脇麦ちゃんと結婚しそうとか。はんはん、わかりやした。

 

浅野さんの役のつくりは映画的なたくらみが山盛りですし、凄い。役者さんに魅力を感じたってことは観せたんだと思うんです。深田晃司監督の映画は名前は聞いたことがあるものの未見なのですが、80年生まれですって。青年団の演出だった時期があるそうで、古館さんとももともと繋がりがあるんですな。

 

監督は「家族という不条理な繋がり」ということを口にされますが、まったくそのとおり。人生を長く過ごした人にとっては実感して改めて掌にのせてじっくり考えたくないことかもしれません。しかしそこを凝縮してみせるのが映画ってもんでしょーねー。映画というもの、どんな手触りが好ましいかは人による。

 

「人間を描くということは、崖の淵に立って暗闇を覗き込むような行為」と仰ったのは青年団をなさっている平田オリザさんの言葉だそうです。英語タイトルは「Harmonium」。オルガンのこと。

 

それがいいか悪いかはこれもまたわかりませんが、日本は欧米にくらべて人間を描こうとすれば家族の関係性が自然にくる。でもなぁ、家族は解散しないにしろ、家族家族と言っていられるのは人生の何分のイチかの期間なのじゃなかろうか。緩く快適に家族は存在できないものか。。

 

深田監督の他の映画はせっかくですからDVDで見届けるとして、いやいやいやーー。この作品、人にはおすすめできないという感じ。かつ説明もしたくないといいますか。反芻するのも嫌でございます。笑 よろしければ予告など。

 

 

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映画 『 海炭市情景 』

 

 

2010年、熊切和嘉監督『海炭市叙景』

2014年、呉美保監督『そこのみにて光輝く』

2016年、山下敦弘監督『オーバー・フェンス』

 

映画化された佐藤泰志原作のの「函館三部作」です。『海炭市叙景』はずーっと観たいと思いながら逃していた作品なので、『オーバー・フェンス』を観るのに先駆けてDVDでやっと見届けました。函館には行ったこともありませんし、佐藤泰志さんの小説も読んだことがありませんが、なーーんか惹かれるものを感じます。役者も監督もそれぞれによいし、予告などの手触りも。

 

公式のストーリーの説明はこうです。オムニバスです。

 

 

その冬、海炭市では、造船所が縮小し、解雇されたふたりの兄妹が、なけなしの小銭を握りしめ、初日の出を見るために山に昇ったのです…。

 

プラネタリウムで働く男は妻の裏切りに傷つき、燃料店の若社長は苛立ちを抑えきれず、父と折り合いの悪い息子は帰郷しても父と会おうとせず、立退きを迫られた老婆の猫はある日姿を消したのです…。

 

どれも小さな、そして、どこにでもあるような出来事です。
そんな人々の間を路面電車は走り、その上に雪が降り積もります。

 

誰もが、失ってしまったものの大きさを感じながら、後悔したり、涙したり、それでも生きていかなければならないのです。

海炭市でおきたその冬の出来事は、わたしたちの物語なのかもしれません。

 

 

加瀬亮さんもすきだけど、竹原ピストルさんよい感じ。今度観るつもりの西川美和監督の『永い言い訳』の予告でもお見かけしました。

 

函館は寒いし、暮らしていくことは誰にもつらく、つらく。個人的なことですが、信仰というのでないかもしれませんが、計らわずに他力、あるいは仏、あるいは光、あるいは名前の無いものにそのまま。穢れたもののまま、だらしないまま、そのままで救われてゆくこと。ありのままを引き受けていくことを得る。そのことを考えます。つらいことに会ったとき、こちらの方言で『やれんのぉ』と言うのですが、まさにこの映画もやれんのぉのオンパレード。

 

佐藤泰志さんは41歳で自死された作家だそうですが、その生きることのつらさの表現がきっと共感を得て映画にまでなったのでしょう。ワタシの街にも路面電車は走っていて、毎日その音を聞いて暮らしています。こころを揺すぶられる映画ではあります。

 

 

HP「書くことの重さ」 

『海炭市叙景』の原作者で、中上健次や村上春樹とも比較されながら自殺した昭和の作家、佐藤泰志の人生に迫るドキュメンタリー。

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映画 『 ヤングアダルト・ニューヨーク 』

  公式

 

予告を観ると、ウディ―・アレン風の軽妙を想像したのだけども、まあ、そうでないこともないよなぁ。です。

 

ブルックリンに暮らすドキュメンタリー監督の夫婦(ジョシュとコーネリア)はいわゆる中年らしい何かが足りないと感じる生活。子供をもった周囲の友人たちに距離を感じていて、ドキュメンタリー映画の方もうまくいっていない。ドキュメンタリー界の大御所である妻の父親にも退屈な作品と辛らつな批判を受けてしまう。

 

ジョシュは講師をしているアートスクールに聴講に来ていた若い夫婦(ジェイミーとアマンダ)に声をかけられる。ジェイミーは監督志望でジョシュをリスペクトしていると言う。そこからジェネレーションギャップをネタにドタバタコメディーのように展開していくだけれど・・。

 

いやはや、意外に苦い後味。というか、なかなか面白い作品だとは思うけど、なんじゃそれ?!と思わないでもない。まあ、よいかよいか。アダルトといってもまだ40そこそこ。そんなのとうに過ぎたわねーーと、一緒に出掛けたミチコさんと言い合ってしまったのでした。

 

LIFEに出ていた人としか記憶していなかった彼(ジョシュ)がベン・スティラーだとやっとハッキリ認識しました。そしてひときわ魅力的だったのはアダム・ドライバー(ジェイミー)。スター・ウォーズに出ていたらしいけど、観ていないの。今後に注目♪

 

本作の監督はノア・バームバック。過去作もちょいと観てみたい感じです。

 

 

 

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映画 『 ヴェラの祈り 』

     公式HP

 

2作品ひとまとめで、先に見たのはエレナの方でした。記憶が新しいのでヴェラの方から先に書くことにします。

 

まず監督は「父帰る」のアンドレイ・ズビャギンツェフ監督。この2作を見たくて長編テビュー作の「父帰る」を観たのは、どうやらもう1年以上前のようです。しかし、全く期待を裏切りませんでした。何だろうこの質量の高さは。

 

夏を過ごすために男の子と女の子のふたりを連れた夫婦は夫の父が残した田舎の家を訪れます。美しい景色、静かな時間。そこで妻のヴェラは夫のアレックスに3人目を妊娠したことを告げます。「 妊娠したの、でもあなたの子じゃない 」。セリフ少なく、説明は情景描写で。ミステリーのように展開し、しかしその謎を抱えながら観るということが少しも苦になりませんでした。

 

アレックス役は「父帰る」の父の人(コンスタンチン・ラヴロネネンコ)のようです。そしてヴェラ(マリア・ボネヴィー・スウェーデン生まれノルウェー育ち。ロシア語は吹き替えられている)は美しい。エレナの方もそうなのですが、髪を纏める仕草が何度も挿入されていて印象的です。そして兎も角映像のうつくしさ。抒情的です。ヴェラが色を変え形を変えて常に来ているのはワンピース。

 

ヴェラの告白に対峙させられるのはアレックスだけではなく、何の説明もしないヴェラ、あるいは説明させないアレックスのせいで作品の最後まで持ち越されます。

 

「父帰る」をキリスト教的テーマだとすると、「ヴェラの祈り」はそれ以前の神話的な女性から導かれているのだそう。ワタシなどは観ているだけではそのことをハッキリ認識することはできなかったのですが、監督のインタビューを抜き出すとこんなふう。

 

「人々は日々あくせくしながら物質的な世界を生き、目に見えるものを追及していると思っているわけですが、実は神話というもの、人々が共生するという掟が常に私たちと接触している。古代ギリシアや古代中国の時代に出来た掟というものが私たちを律し、身体を貫いているのですが、それを十分認識していない。私たちは着ている服が違うくらいで、古代の人間たちと何も変わっていない。つまり、今だけと思っていることが、数千年前にすでに起こっていて、今後も何千年もそれを繰り返していくということなのです。」

 

ワタシにはハッキリ認識できない、ロシア人の、母なる大地的な神話というよりも、やはり父権的権力や罰のようなことが飲みこみやすく。宿命的な夫婦というもののしくみ、わかりあえなさと孤独をヒシヒシと感じたのでした。

 

母なる大地の広大さや水の流れ。街と大地の対比。疾走する車、降りしきる雨。農婦たちの民謡。ずっしりとしたあと味でした。

 

 

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映画 『 シング・ストリート 未来へのうた 』

     公式

 

およそ夏のあいだは毎年音楽は聴かないで過ごします。映画にも長く行かないまま。やっと夏の喧騒が終わりに近づき、何か映画にありつきたくなりました。見逃してばかりだったんです「エイミー」も「フェイク」もその前のあれもこれも。兎も角、最終上映でありつくとしたら何か? 4つくらいの中から選んでこれにしました。カリーナさんから面白かったと聞いていましたし安心してスクリーンの前に座りました。

 

 

1980年代のダブリン。不況の中父親が失業したことによって荒れた公立学校に転校することになったコナー。母親には恋人も出来て夫婦中は険悪。家庭は崩壊寸前。閉じこもりで音楽狂の兄とロンドンのMVを観ている時だけがたのしい時間。学校の近くで見かけた大人びた女の子ラフィナに惹かれたコナーは「僕のバンドのPVに出ない?」と声をかける。そこからの疾走する日々。。。

 

 

オーディションで集められた若者たちは演技の経験が無いそうで、音楽が好きかどうか、バンドの仲間や友達をつくるようにして選ばれたのだとか。オーディションでは「寝室に楽器があるか?」などと質問されたそうです。主役のコナーを演じた彼も役者ではなく、子供の頃からソプラノのソリストと歌っていた経験があるのみ。映画が進むうちにだんだんカッコよく思えてくるから、わくわく。

 

名前くらいは知ってるけど、デュラン・デュラン、A-HA、ザ・クラッシュ、ザ・ジャムなどなど。80年代音楽のことを知っていたりしたらもっと楽しかったと思うけど、まあいいやいいや。充分たのしかったもん! 若者だけではなく、大人も前に行こうぜ!! な気分で映画館を出ました。

 

 

 

 

 

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