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映画『 幼な子われらに生まれ 』

 

2016年

出演:浅野忠信、田中麗奈、池田成志、宮藤官九郎、寺島しのぶ 
原作:重松清「幼な子われらに生まれ」
脚本:荒井晴彦  監督:三島有紀子

 

こういう映画が観たかったわけではなくて、どこやら外国のアートをめぐる旅を描いた作品を観るはずが終わってしまっていました。どっぷり夏に疲れた、もう1カ月以上も前のこと。

 

重松さんの原作なぁと思いつつ、何時も行く映画館のHPのレビューが褒めているので、まあいいかと思った次第。悪くなかったです。原作が書かれたのはもう20年以上前だそうで、言われてみれば、あんあんなるほどーー。

 

家族が面倒で難しくて深淵で、かつ鼻先を突っ込んですりすりしたいほど愛おしくって、その本質は多分変わっていないのだろうけれど、やっぱり変わっているんじゃないですかね、家族像というもの。もうかたちをどう留めたらいいのか戸惑ったままに漂っていることに慣れっこになっているような。

 

脚本の荒井晴彦さんは、かの『遠雷』(81/根岸吉太郎監督)や『ヴァイブレータ』(03/廣木隆一監督)や数々の日活ロマンポルノの脚本を書かれた方だそうで、なるほど。三島監督の作品はたぶんこれまで観ておらず。

 

どうして浅野パパは家でもシャツのボタンを首元まで留めちゃってるのかなぁ。コツコツと努力を積み重ねることでしか家族は形を保たないものらしい。そして、時間とともにまたそれは変わっていくよね。いいも悪いもなく。田中麗奈さんがいちばんリアルだったかも。

 

 

 

 

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映画 『AMY エイミー』

 

上映していた当時観に行けないままになって、もうWOWOWでやってくれるまでに時間が経ってしまいました。録画予約はしていたものの、TVの放映に時間にチンと座って視聴した次第です。

 

エイミーが活躍していたころ、音楽に疎いワタシの中に空前の音楽ブームがありました。自転車でスーパーに行く時も、お風呂に入る時も音楽を耳にしていました。そしてその頃に、リアルな、絶対的なディーバだったのがエイミーでした。

 

この映画は、2011年の夏に27歳の若さで亡くなってしまったエイミー・ワインハウスというイギリスの歌手のドキュメンタリーです。世界的なヒットやグラミー賞とともにスキャンダルや過激な発言も注目された女の子でもありました。

 

スターとして生きていくレールには乗れなくて、恋に依存したりお酒やドラッグにのまれたりしました。天才的な歌手であった彼女にはそのことは悲劇としか言いようがなくて、そうじゃなく生きるチャンスも確実にあったと思うけれど、それでもなおそれが彼女であったんじゃないかという気がしたのです。

 

 

 

町山さんの解説を読んでよりよくわかったんですが、☝は、「みんなが麻薬中毒のリハビリに行けって云うんだけどワタシは行かないわ 」って歌詞になっているそうで。「リハビリ施設に行くよりダニー・ハサウェイを聴いている方がいいわ」って。

 

 

 

それでもって、☝は、「じぶんとしたばっかりの彼はそれも乾かないうちに他の女のとこに行っちゃって、ワタシを置いて行っちゃったから麻薬中毒に戻るわ」ってことらしいです。 CDを聴いていた当時も何となく歌詞は知っていたつもりだったのに、嗚呼そうでしたかーーーって感じ。赤裸々な生きにくさそのものが彼女の歌なんだなぁ。

 

 

 

 

 

もうステージの上でどうにも歌えない、歌わない彼女の姿などを映画の中で沢山観ました。可哀想だよぉぉぉ。だけど、彼女が最高のディーバであったことは確かで。

 

人生は自分で選択していくものだけど、そうとしか出来なかったってことがあるよなぁぁと思ったのでした。あ、でも、クソバカ最低男にのめり込まないように気をつけるくらいはした方がいいよね、ってことですが。まあ、それも含めて彼女は彼女だったのでした。エイミーこれからもずっと愛してるよ。

 

 

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映画 『 未来よこんにちは 』

およそストーリーは読めばわかり。イザベル・ユペールが演じるのを見届けることと、いわば励ましの気分を拾いたいと思って出掛けました。

 

しかし、それを拾うには至らず。ワタシ自身は今はつれあいがいることや、しごともまだそれなりに掌中にあることで直面していないけれど、おしなべてだれもかれも乗り越えていらっしゃるよねと、思うに留まり。

 

ホンマにみーんなえらい。そこらへん歩いてる誰も彼もえらい。映画のヒロイン以上にえらい。いくつになっても、年を取ればこそ、軽くなりたい。それはおそらく想像以上に実にさみしくおぼつかなくなってしまうことなんだろうな。そして、今まで以上に体当たりでいかないといけない気がしている。

 

体力は目減りしてますが、それなりの体当たりを面白がりたいものです。監督はミア・ハンセン=ラブ。

 

 

主人公のナタリーが夫と車に乗っている時に挿入されるのシューベルトの歌曲「水の上で歌う」。歌詞は『昨日も今日も 時は去っていく 私もいつか 輝く翼に乗って高みに舞い上がり 過ぎゆく時の流れから消え去っていくだろう』。

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映画 『 マイ・マザー 』

 

「たかが世界の終わり」がたのしかったので、グザヴィエ・ドラン監督の作品を観てみたくなりました。本作は6歳の時から子役を始めた監督本人が17歳の時に書いた脚本を自ら監督・主演。19歳での監督デビュー作です。早熟だなぁ。

 

ストーリーは2人暮らしの母と息子の思春期の微妙な関係。題材は誰もが経験する成長のための通過儀礼ですが、どうしてこうもきちんと見せることができるんだろう? ひとりよがりになることなく、10代のころの母親へのザラッとした嫌悪感をよみがえらせます。しゃべり方、食べ方、態度。

 

この早熟な監督の洗練され方を感じることも含めて、作品全体の魅力なのでしょう。

 

 

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映画『 美しい星 』

  「美しい星」公式HP

 

観てきました、異色作。作品への興味半分、蔵さんを見届ける使命半分といったところでしょうか。ストーリーは説明できません。笑

 

めっちゃざっくり言いますと、原作は三島由紀夫さまでございまして、監督は吉田大八さん。三島が小説を書いた当時は米ソ冷戦時代。おそらく、核の危機を当時注目のSFに落とし込むといった具合かと。そしてその小説を、初めてそれを読んだ大学生の時に映画化したいと思った吉田監督。

 

三島が生きていた当時、本人も「実にへんてこりんな小説」と言っていて、大島渚か市川崑にしか撮らせないと言っていたと、どこかで読みました。原作は読んでいませんが映画を観る限り、すごく異色なんですもん。単純理解できないし。自由だけど駆られるものがあるわけですし、人類たるものを救うべきなのか?とか考えなくちゃならないし、橋本愛ちゃんはうつくしいし。です。

 

三島が書いた核の危機を地球温暖化に代え、時代も現代に移して映画は展開します。のっている吉田監督ならではの力技では? 蔵さんのことは客観的に判断しがたいですが、きちんと役を考えたうえで吉田監督がキャスティングしてくれたと思うとうれしいでございます。

 

観終わったあとくスッキリ!はしがたいですが、それはそれで良しかと。何といいますか。有意義だとか、名作だとか、カテゴライズや答えや評価がハッキリした、そういうものばかり観てはいけませんよねー。おもろいです。

 

 

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映画 『 裁かれるは善人のみ 』

 

この監督の映画は観ることに決めています。しかし、気軽には観れません。

 

自動車修理工場をしているコーリャは若くて美しい後妻のリリアと、先妻とのあいだのムスコのロマと暮らしています。ところが選挙を控えた市長が権力にものを言わせてコーリャの住んでいる土地を無理やり買収しようとしていて。コーリャはモスクワから友人の弁護士ディーマを呼び寄せ対抗しようとするが、、。

 

キリスト教的な課題と神話をベースにするアンドレイ・ズビャギンツェフ監督の、またもゆるぎない作品でした。残念ながらワタシには何もかもを汲むことは出来ないわけですが、国家と教会の結びつきなど日本人にはわからない不気味さです。司祭は神の名のもとに市長を正当化してしまうあたり、異常にストレスフル。神の真実は都合よく解釈され、神は不在のまま。

 

弁護士のディーマが追い払われてしまえばコーリャは為すすべは何もなくなってしまう。ただただ降りかかる災いに翻弄され、唖然としつづけるだけ。

 

国や権力や教会といった男たちの流れはそれとして、美しいリリアも追い詰められていきます。リリアが海で見たものはおそらく鯨で。リリアはどう生きればよかったのか。父権的な権力の世界で。

 

絶望的な暗さと重たさがそれ故に作品を引っ張ってゆき、短くない時間、その世界に身を浸されながら過ごしたのでした。

 

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映画『 めぐり逢わせのお弁当 』

 

 

もう3年くらい前の映画でしょうか。当時インド映画らしからぬこの作品は人気があった気がします。インドの大都会であるムンバイで、家やお店からお弁当を配達し、回収するしくみがあることも新鮮でたのしい題材ですね。弁当配達人はダッパーワーラーと呼ばれるそうです。

 

ある日料理を通して夫の愛情を取り戻そうとする主婦のイラのお弁当が、あやまってサージャンという初老の男の元に届きます。繰り返して誤配されるあいだにふたりは手紙をやりとりすることになり、こころを開いていきます。

 

インドだろうが年齢がいくつだろうが、こころを通わせることができる人がほしいことにかわりないですね。まだ中年にもならないイラには一人娘がいて、夫はしごとに忙しいし心はまったく家庭にあらず。イラの気持ち、よくわかりますよね。サージャンは妻に先立たれていてイラのお弁当と手紙に心を動かされていく。50代の悲哀、これもよくわかる。会わないふたりのラブ・ストーリーといったところでしょうか。

 

結末ははっきりとは描かれませんが、まあそれはそれでよし。しかしねー、もしハッピーエンドであったとしてもしあわせいっぱいってものでもないんだよね、と思ってしまうのはおばちゃん心でしょうかね。あ、そうそう。「人は間違った電車でも正しい場所に着く」という言葉が中で繰り返されるのだけど、どう解釈すればいいのかワタシにゃよくわからず。

 

たのしかったですが、気軽なものを観たかったわりに、ワタシはいささかもやっとしたのでしたよ。

 

 

 

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シネマ歌舞伎予告

  公式HP

 

昨日、お昼前だったでしょうか。カヨさんからライン。「たまの休みで体調もよくないんだけど、気分が滅入ってきたーーー。オススメの映画と上映時間を教えて!ダンナも休みなんだけど煮詰まってきたー。いけない奥さんかなぁ。」とのこと。 とりあえず「 うーむ、オススメは特に無いけどライオンでどうかしら? 何時と何時よ。映画でも美術館でも買い物でも行くべし!」と、返事しました。

 

出かけたいと思っているけど、それじゃあダンナに悪いと思っているということを、付け加えたいきもちなんだなぁと思いました。誰も自分のことは自分で決めるしかないし、人に言われてどうこう出来るもんでもないでしょう。

 

それから風邪っぴきのカヨさんはわざわざバスで街中まで出かけて、ライオンを見て、自分でも困るほど泣いたんだそうです。もやっとしてる時にいっぱい泣けて良かったなぁ。

 

でも出かけたせいだか今朝は、喉も痛くて下痢だそうでトホホ。まあ、しゃあないですねー。かよさんはワタシより10ほども年上ですが、いくつになってももがく時はもがくしかないといこうとなんでしょう。人生何時でも過渡期?!

 

兎も角、そんなことで映画館のHPに行きました。何時もは時間が長くて諦めているシネマ歌舞伎が今回は1時間半!! 今度こそまいりますわ。歌舞伎座もお江戸も無理でも映画館なら行けるもんねーーー。

 

 

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映画『 沈黙 』『 LA LA LANDO 』

  

 

どちらも映画館で観れてよかったなぁ。

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映画 『 たかが世界の終わり 』

 

2016年

原作 ジャン・リュック・ガラルス『 まさに世界の終わり 』

監督 グザヴィエ・ドラン監督 ( Mommy/ マミー )

俳優 ギャスパー・ウリエル  / ナタリー・バイ  / レア・セドゥ / ヴァンサン・カッセル / マリオン・コティアール 

音楽 ガブリエル・ヤレド

 

観終わってから知ったことは、もとは舞台劇の脚本だということです。それで、ああも息がつまりそう。未だに28歳のグザヴィエ監督の前作は観ておらず。役者が豪華ったらありません。レア・セドゥにつられて観に行ったような気もするぞ。

 

どうやら原作の『まさに』は『たかが』に少し変えられているらしい。まさに と たかが の違いはなんだろうなぁ。

 

劇作家として成功した34歳のルイは自分の死がちかいことを家族に告げる為に12年ぶりに帰ってきたらしい。迎えるのは母親と兄、妹のシュザンヌと兄嫁のカトリーヌ。 母親は必要以上にはしゃぎ(ああ、ひとごとではないわ)、兄は同性愛の弟を理解できないし、どうやら日ごろから怒りを爆発させたりしてうまくないらしいことが察せられる。ルイが出て行った時にはまだ幼かったらしい妹はルイを歓迎しているけどぎこちない。ギクシャクする家の中に平素から身を置いている唯一の他人であるカトリーヌがいちばんルイの帰宅ときもちを理解したのかもしれない。

 

ルイは告げようとしていたことを告げることもなく、家族はより傷つけあった形で終わる。これといった事件は起こらず、しかし息がつまる。家族とはそういうものだと思う。思い合ってはいるのだけれど、傷つける言葉をつかってしまう。本気なのかどうかもわからない。言いたいことの何も通じない。

 

ドラン監督はカンヌの授賞式でこうコメントしたそうです。『 登場する人物は意地悪く、時に毒を吐きますが、何よりみな心に傷を負った人たちです。彼らは我々のまわりにいる人たち、母や兄弟、姉妹たちの多くがそうであるように、恐怖を感じ、自信を失い、愛されていると確信できないで生きています。そんな登場人物たちの感情を描き出すことを目指しました 』。

 

いやはや草臥れますよ。映画でまでこんなものに直面すべきかどうか。表だっているかどうかはわからないけど、どこの家にも必ずあるものだから。心の揺れや痛みに寄り添わずには観れないから。音楽にも確実にやられます。

 

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