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遊び座 能の会『 蝉丸 』

 

1カ月ほど前に観に行きました。そうそう駅伝の日でしたから22日かなぁ。相変わらず、お能とはこういうものなんだなぁと観ているばかりですが、まあ、よしよし。地謡はプリントして持って行きました。居眠り防止。笑

 

『蝉丸』は作者不詳。場所は逢坂山。季節は秋で、能の演目としては4番目に演じられるジャンル、狂女物に類するそうです。

 

どうやら1日中お能を上演する場合、1番目(脇能物)には神様が主役、2番目(修羅物)には武士の男が主役、戦で人を殺しているのでその修羅の苦しみを嘆く内容。3番目(鬘物)女が主役、天女とか精霊も。4番目(雑能物)狂女が主人公、苦しみの果てに鬼になってしまう場合も。5番目(切能物)人間で無いものが主役、幽霊、妖怪、天狗などなど。人間界でいいことや悪いことをして自分の世界に帰っていきます。最後の演目なのでキリ。

 

平安時代の聖帝と謳われていた延喜帝(えんぎてい)の第4皇子の蝉丸は盲目故に逢坂山に捨て置かれた。その姉の逆髪も異形故に都を追われた。琵琶の上手な蝉丸のひく琵琶の音。その音にひかれてふたりは再開する。

 

逢坂の関( 京都山城・近江国境)を往来する人々はあたかも輪廻の道を往来する人間の魂のよう。皇子と生まれながら底辺に生きる身になった運命の皮肉と無常観。逆髪はやがて弟の手を振り切って旅だっていく。

 

ストーリーというほどに物語は進展せず。ゆっくりと捨てられる蝉丸と、逆髪との再会、別れを味わうのみ。もともと蝉丸は、平安時代成立の『今昔物語集』では琵琶の名人・敦実親王に仕える使用人で、盲目の身となってからは逢坂山に独り侘び住まいをしていた人物とされているのだそう。キャラクター設定は変わっても、零落や別離といった人の常はいつも心に響くものなのでしょうね。

 

百人一首の「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」も蝉丸の作とされています。近松の浄瑠璃にも女の怨念で盲目になるおはなしの演目もあるそうで、アレンジされても基本のキャラクターを知っておけばたのしい気がします。

 

 

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平幹二朗さん。

 

今ネットニュースの見出しで平幹二朗さんが亡くなったと知りました。人のいのちの終わり方は選べないけれど、幸運にしてあっぱれだと思う。ずっと現役でいらした。詳しくはないけれど、ずっと唯一でいらしたのではなかろうか。平さんが画面のどこかに、もちろん板の上にいらしても、それは格別の存在感だった。

 

初めて生で拝見したのは、ひとり芝居だったと思う。それから幹の会でやっていらした「ベニスの商人」、他に、、舞台では数えるほどだけど映像で見たことの無い人はいないだろう。この前もWOWOWのドラマで拝見したばかり。

 

二兎社の蔵さんの舞台でも拝見した。ほーーー!いっちょまえに平さんと渡り合う?!と、うれしさに満たされたものだ。そして、漏れ聞こえてくる平さんの公演中の様子にもかくありたいと思ったのだった。ものやわらかにふぁんの相手をし、マチネのあとにひとりでカフェにいらしていたよなどと。

 

蜷川さんをおくり、平さんをおくる。時代や季節はきちーーんと確実に、優しく無情に、永遠の一部になってゆくことだ。

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シェルカウイ


きのう、お昼ごはんをたべようとTVをつけたら、ちょうど観たいと思っていたシェルカウイのドキュメンタリーが始まったところでした。録画しておいてもなかなか観ないので、1時間のあいだTVの前に座って観ていました。

 
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舞台 『 元禄港歌 』


ねっころがったままで更新をしてみましょ。いやいや病気とかそんなんじゃあありません。お陰さまでふつーに怠惰に暮らしております。ちょいとだるいんですわ。大人ですもの。ふふ。

桜ももうハラハラ散ったりなどしておりますね。みなさまは、お変わりございませんか?  先日お友達のねこさんに、春バテという言葉を教えていただいたんです。たしかに自律神経が安定しない感がありますよね。それにアレルギー的な要因とか。どうぞ大人の方はご自愛下さいませね。



さておき、書きたいことはさまざまあれど、夜中にBSをつけたら舞台をやっておりました。しばらく前に、ワタシの支払いでムスメが観に行ったやつ。

蜷川さんの、「近松心中物語」の1年後に作られた作品なんだなぁ。当時、観ておりません。近松心中物語では森進一さんの挿入歌がなんともいけておりまして、やはり時代の中に生きているものですね、舞台も。

で、こちら「元禄港歌」は美空ひばりさんの歌が流れます。再演にあたりそこを無くすというのは無しだったんだろうなぁ。

亀ちゃんもひばりさんの歌でやりたいと言ったとちらと読みましたが、ある種そこのところは歴史遺産的な感じか?

テレビで拝見すると、役に対して段田さんは歳が多いかも。もちろんちゃーんと役におさまっていらしたですけれど。ちゃーんと二枚目、優しくて悲しい。

亀ちゃんの役は昔は藤間紫さんとかなさっていたとか。肝心なお役。亀ちゃん的独壇場になっているのか?と予想していましたが、そうは感じませんでした。ファンタジー的な(森からきた狐のイメージも担う)彼の担い手としての大きさゆえか?あのお役の猿之介さん、好きでした。

元禄というからには、元禄なんだろうなぁ。個人的にはごぜさんには感情が動きますし、三味線、お能、真宗とかとか、面白かったです。悲田院というからにはホスピス的な。そことごぜさんの悲しみみたいなことは初演の時はあまり説明が要らなかったのだろうなぁ。

の葉のことをもっと認識してから観れば良かった。当時の大人には常識だったのかしらん。ともかく、観れてうれしかったのでした。あ、高橋一生さんも観れたし。りえさんの初音も鈴木杏さんも三味線のお稽古なさったんでしょうね。流石役者だなぁ。

 
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アンドロイド演劇 と アンドロイド映画
 


手元に届いていた舞台の案内は上のもの。ま、しかし、好奇心にまかせて出かけて行くというわけにもいかず。そうしたら、どうやら知らぬ間にこの舞台が映画化されていたらしい。



舞台は例のロボット研究の世界的一人者の石黒浩さんと、平田オリザさんのコラボレーションだけど、それを深田晃司監督が映画化。ありゃ、うちの近所では明日までの一週間上映の上に時間帯は夕方。。。あらまあまあ。

見届けてみたいのはアンドロイドの “ ジェミノイドF “ の存在感。人間ってなんだろな?ってことになるのかしら。

石黒さんと深田監督の話の中で興味深く感じたのは、

ジェミノイドFがヒロインのターニャから「詩を読んで欲しい」と請われ、谷川俊太郎の詩を朗読する場面があり。ヒロインはジェミノロイドFに「あなたはいつも私の聴きたい詩を選んでくれる」と。それにジェミノロイドFは「それはあなたとのこれまでの会話を集積し、分析している返しているからです。」と。つまりヒロインは自分自身と話をしていることになるのか?

アンドロイドの存在そのものの核心? 生の手触りを感じる場面に違いないという気がします。動物を飼うとはまた違うこと。犬や猫には人格?があるのかもしれないけど、アンドロイドには人格は無い。。。

健康な人にもアンドロイドが話すと言葉がストレートに伝わるそうです。雑多な気をそらす要因が少ない? 発達障害や認知症の人にとってアンドロイドとのコミュニケーションが効果があるということも研究でわかっているそうです。

認知症でもそうでなくても、対話無しには暮らしてゆけない。しかし家族と同居している高齢者よりも独居の高齢者野ほうが生活満足度が高い。介護してくれるアンドロイド。。
アンドロイドは物事を判断するがゆえに悪用されない保証は無く、人を洗脳してゆく可能性も無くはない。。。

さあて、ワタシが生きているうちに我が家にもアンドロイドはやってくるのか? ともあれ、興味深いことです。



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舞台 『 オレアナ 』


作   デイヴィッド・マメット   翻訳 小田島恒志
演出  栗山民也          出演 田中哲司 志田未来

ノルウェーのバイオリニストで音楽家のオーレ・ブル(1810〜1880 )は「ノルウェー初の国際的スター」と呼ばれたそうですが、彼が成功を収めたアメリカに広大な土地を手に入れました。その土地を同郷人のための理想郷にしようとしました。しかし、土地は農耕に適さず彼と彼の計画に参加した人たちは大金を失ってしまったのです。理想郷を追い求める絶望的な状況をその土地の名前に由来して「オレアナ」と。

さあて、想像していたことですがなかなかフラストレーションの溜まる舞台でございました。パワーゲームのような掛け合いと、内容にきもちを傾けていると始終それを中断させられる電話のベル。それって反則なんじゃないかな(笑)。そういうの、そういえば三谷さんの脚本にもありましたね。



マメット(超有名映画の脚本なども手がける現代アメリカを代表する劇作家)が脚本を書いたのが1992年。オフブロードウェイで、ロンドンで、パリで、世界中で上演されている作品です。

大学教師のジョンと女子学生のキャロル。授業の内容がわからないがどうしても単位が必要だと懇願しに研究室にやってきたキャロル。終身在職権が認められるのを目前に新居購入のことでアタマがいっぱいのジョン。


紳士的な態度でキャロルの相談に応じるジョンですが、キャロルが大学当局にジョンの行いを訴えたことによりジョンの洋々だった未来図は打ち壊されていきます。



セクハラと言えばそうですが、権力構造のことでもあるでしょう。性差だけでもない。そして、ジョンが優位であるとも言えません。コミュニケーションは初めからか、途中からか、完全に断たれてしまいます。非常に非常にデリケートな問題です。

観た人はそれぞれに違う感想を持つだろうと言われますが、おそらく日本人の95%以上はジョンが可愛相!! ストレスの多い舞台だった と思うのではないかと思いました。脚本の構造というよりも、演出や役者の声色ひとつで印象はまったく違うものになると思われます。特にキャロルの方の。志田未来ちゃんは初舞台だそうです。

うかうか出かけたので栗山さんの演出と知ったのは観た後でした。栗山さんなら安心というのがワタシの中のきまりですが、栗山さんが読んで、情況を見て、あれでありだと思われたのならそのまま受け止めて、あとは自分の中に放り込んでおくということに。



ダンナに「ウチの奥さんはジェンダーフリーだから」などと揶揄されたりしますが、おそらく他の人よりもワタシはキャロルのことを想像できるのじゃないかと思います。それでもあのエキセントリックな話し方のキャロルはいささか。どちらかと言えばごく一般的にジョンが可哀想と感じたように。しかし、ジョンが特別ではないとしてもそこに権力構造について考えるきっかけがあるのはたしかなのでは?

最後のところで妻と電話で話すジョンの言葉を捉えてキャロルが 「 “おいちょっとお前” なんて奥さんに言っちゃあダメですよ」という内容のことを言います。敏感になるべきか、鈍感になるべきか、。無意識には何が隠れているのか。若さとは何か。

そんないろいろを放り出して、キャロルに向かって椅子を振り上げるジョンの姿を舞台に残したまま、幕が降りました。



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平成27年 松竹大歌舞伎
 


魚屋宗五郎っておはなしは、何やら落語めいてもいますね。なんだっけ、人のよいお兄ちゃんが妹と殿さまに会いに行くやつ。梅枝さんの気配好きでした。生の菊之助さんは初めてでした。もっと歌舞伎が観たいけど、まあね、地方公演に母を連れていけただけでもかなりの贅沢。(11月21日)


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能楽の基礎の基礎
          

もう10月のことですが、市民能楽のつどいを拝見しました。興味はあるものの、より近づくパワーも機会もなく過ぎていますが、有名な演目の筋などがわかるようになるといいのになぁ。文学にも、神楽も歌舞伎にもいろいろ繋がっているのだろうなぁ。

だいたい能楽とは何を指す? 能と狂言を合わせて言う言葉だそうです。所作は様式化されており、言い回しは室町時代の様式を残す。題材は平家物語、伊勢物語、伝説などで、実在した人物が幽霊となって現れます。生きていた時の恋や戦を回想して幽玄の精神世界を描きます。

そのしくみを作ったのは観阿弥・世阿弥ということでよいのかな? 時間や空間をワープする演劇的なしくみ。主人公=シテは現実を離れた人物なので能面をつける。能のなかに出てくる狂言は間狂言(あいきょうげん)、それだけで成立するものは本狂言といふ。

鎌倉時代、猿楽や田楽は今様や白拍子などの舞を取り入れてストーリーを持つように。室町時代、観阿弥世阿弥が義満に認められて能を大成。


頂いたパンフレットの解説を失礼してちょっとメモ。



初番目物 (神・しん) 脇能 身体を主人公として天下泰平・五穀豊穣を願うめでたい内容のもの。

二番目物 (男・なん) 修羅物(しゅらもの)。修羅道に堕ちた亡霊たちや苦患(くげん)と敗北者の滅びの美学を抒情的に表現。

三番目物 (女・にょ) 鬘物(かずらもの)。王朝の優美な女性たちや・草木の精・天人などが織り成す幽玄の世界を優美に表す。

四番目物 (狂・きょう)雑能(ざつのう)。狂女物。悲しみ怒り恨み嘆き等、人間の持つ情念を様々に描く。

五番目もの (鬼・おに)切能(きりのう)。鬼、天狗、神、妖精などがダイナミックに活躍する豪華絢爛な雰囲気の舞台。


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用語 

独吟 能一曲の特定の部分を囃子を伴わず一人で謡うこと。
連銀 曲の一部分を二人以上で声をそろえて謡うこと。
仕舞 能の一部分を、シテ一人が面・装束をつけずに紋付袴で囃子をともなわずに、地謡うだけで演ずること。
附祝言 一日の能の最後に地謡がめでたい一節を謡うこと。
段物 能の謡の中の見せどころ,聴かせどころとなっている一段落を取り出して、独吟・仕舞などに用いる部分。 
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舞台 『 正しい教室 』
   正しい教室 公式

録画を頼まれたので、頼まれついでに観ることが出来ました。ミュージカル界のプリンス井上芳雄さんが歌わない舞台、というのがひとつの話題だったみたいですね。達者な方ばかりなのでそのへんは危なげなく。もやもやというか不気味というか危ういというかきちんと迷わせてくれます。

蓬莱さんの舞台は何を観たことがあるのだったか。やはり蓬莱さんらしいという気がしました。同窓会のはなしですが、嫌われている恩師の菊池(近藤正臣さん)が出てくるあたりから、教室の中の『正しさ』とは何なのかというごく面倒くさいテーマにきちんと観客を運んでゆきます。人間の不確かさだとか、立場と個人だとか。

あーー!面倒くさーーいーーー!! これは褒めております。とっても褒めてます。



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舞台 『 飛ぶひと 』
 

「 それでもやはり、飛べないことくらいわかってる 」


もう2ヶ月も前になります。

広島市の文化財団さんがやってくれている演劇引力広島という事業ですかね。地方公演なんか無さそうな作家さんを呼んでくれて広島の役者と自分の劇団の人とか混ぜてきちんとお稽古してくれて、スタジオで新作を観せてくれるという有り難い公演なんです。で、また東京とかに帰って公演したりという具合。

赤堀さんの時は売り切れで入れなかったですが、折角の機会なのでなるべく観てみたいんです。で、今回の作・演出は劇団「はえぎわ」主宰のノゾエ征爾さん。もちろん「はえぎわ」の舞台など観たことがありません。年齢を気にするのはどうか?ですが、40歳でいらっしゃるそうです。若いからどう、そうでないからどうというのでなく、やはりおいくつなのかな?思ってしまうところがあります。

妻を亡くした若い男が東京まで運転していくなかでの群像劇になっていました。もがく人たちです。かっこわるくもがいて、落ちるとわかっていて飛ぶ。それでもがんばっていかないとね、っていうふうに人を愛おしんでいるのでしょう。「嘆きの喜劇」というコピーをつけていた記事を観ましたが、喜劇なんです。

演劇としてどうかは誰も点数つけられません。若い役者たちも、若くも無い観客も、日々喜劇の舞台にいるってことでしょうか。ごちそうさまでした。

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