横川であった、小さなフラメンコのライヴに行ってきました。生のギターや歌、踊りから伝わってくるものもさることながら、そこで踊るかたや観にいらしておられるそれぞれのことを何故か思いました。歌うことも踊ることもその根っこは祝祭なんだろうかなぁ。生きていることのよろこびなのかもなぁ。みっともなくても踊ろう。しんどいときも歌おう。それがいいんじゃない? かっこよければ更によし!
フラメンコや闘牛の時の ” オーレ!olé ” の掛け声。日本語にすれば 見事だ! しっかり! いいぞ! だそう。じゃあ、ワタシにもあなたにも ” オーレ! ”
1カ月ほど前に観に行きました。そうそう駅伝の日でしたから22日かなぁ。相変わらず、お能とはこういうものなんだなぁと観ているばかりですが、まあ、よしよし。地謡はプリントして持って行きました。居眠り防止。笑
『蝉丸』は作者不詳。場所は逢坂山。季節は秋で、能の演目としては4番目に演じられるジャンル、狂女物に類するそうです。
どうやら1日中お能を上演する場合、1番目(脇能物)には神様が主役、2番目(修羅物)には武士の男が主役、戦で人を殺しているのでその修羅の苦しみを嘆く内容。3番目(鬘物)女が主役、天女とか精霊も。4番目(雑能物)狂女が主人公、苦しみの果てに鬼になってしまう場合も。5番目(切能物)人間で無いものが主役、幽霊、妖怪、天狗などなど。人間界でいいことや悪いことをして自分の世界に帰っていきます。最後の演目なのでキリ。
平安時代の聖帝と謳われていた延喜帝(えんぎてい)の第4皇子の蝉丸は盲目故に逢坂山に捨て置かれた。その姉の逆髪も異形故に都を追われた。琵琶の上手な蝉丸のひく琵琶の音。その音にひかれてふたりは再開する。
逢坂の関( 京都山城・近江国境)を往来する人々はあたかも輪廻の道を往来する人間の魂のよう。皇子と生まれながら底辺に生きる身になった運命の皮肉と無常観。逆髪はやがて弟の手を振り切って旅だっていく。
ストーリーというほどに物語は進展せず。ゆっくりと捨てられる蝉丸と、逆髪との再会、別れを味わうのみ。もともと蝉丸は、平安時代成立の『今昔物語集』では琵琶の名人・敦実親王に仕える使用人で、盲目の身となってからは逢坂山に独り侘び住まいをしていた人物とされているのだそう。キャラクター設定は変わっても、零落や別離といった人の常はいつも心に響くものなのでしょうね。
百人一首の「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」も蝉丸の作とされています。近松の浄瑠璃にも女の怨念で盲目になるおはなしの演目もあるそうで、アレンジされても基本のキャラクターを知っておけばたのしい気がします。
今ネットニュースの見出しで平幹二朗さんが亡くなったと知りました。人のいのちの終わり方は選べないけれど、幸運にしてあっぱれだと思う。ずっと現役でいらした。詳しくはないけれど、ずっと唯一でいらしたのではなかろうか。平さんが画面のどこかに、もちろん板の上にいらしても、それは格別の存在感だった。
初めて生で拝見したのは、ひとり芝居だったと思う。それから幹の会でやっていらした「ベニスの商人」、他に、、舞台では数えるほどだけど映像で見たことの無い人はいないだろう。この前もWOWOWのドラマで拝見したばかり。
二兎社の蔵さんの舞台でも拝見した。ほーーー!いっちょまえに平さんと渡り合う?!と、うれしさに満たされたものだ。そして、漏れ聞こえてくる平さんの公演中の様子にもかくありたいと思ったのだった。ものやわらかにふぁんの相手をし、マチネのあとにひとりでカフェにいらしていたよなどと。
蜷川さんをおくり、平さんをおくる。時代や季節はきちーーんと確実に、優しく無情に、永遠の一部になってゆくことだ。
きのう、お昼ごはんをたべようとTVをつけたら、ちょうど観たいと思っていたシェルカウイのドキュメンタリーが始まったところでした。録画しておいてもなかなか観ないので、1時間のあいだTVの前に座って観ていました。
ねっころがったままで更新をしてみましょ。いやいや病気とかそんなんじゃあありません。お陰さまでふつーに怠惰に暮らしております。ちょいとだるいんですわ。大人ですもの。ふふ。
桜ももうハラハラ散ったりなどしておりますね。みなさまは、お変わりございませんか? 先日お友達のねこさんに、春バテという言葉を教えていただいたんです。たしかに自律神経が安定しない感がありますよね。それにアレルギー的な要因とか。どうぞ大人の方はご自愛下さいませね。
さておき、書きたいことはさまざまあれど、夜中にBSをつけたら舞台をやっておりました。しばらく前に、ワタシの支払いでムスメが観に行ったやつ。
蜷川さんの、「近松心中物語」の1年後に作られた作品なんだなぁ。当時、観ておりません。近松心中物語では森進一さんの挿入歌がなんともいけておりまして、やはり時代の中に生きているものですね、舞台も。
で、こちら「元禄港歌」は美空ひばりさんの歌が流れます。再演にあたりそこを無くすというのは無しだったんだろうなぁ。
亀ちゃんもひばりさんの歌でやりたいと言ったとちらと読みましたが、ある種そこのところは歴史遺産的な感じか?
テレビで拝見すると、役に対して段田さんは歳が多いかも。もちろんちゃーんと役におさまっていらしたですけれど。ちゃーんと二枚目、優しくて悲しい。
亀ちゃんの役は昔は藤間紫さんとかなさっていたとか。肝心なお役。亀ちゃん的独壇場になっているのか?と予想していましたが、そうは感じませんでした。ファンタジー的な(森からきた狐のイメージも担う)彼の担い手としての大きさゆえか?あのお役の猿之介さん、好きでした。
元禄というからには、元禄なんだろうなぁ。個人的にはごぜさんには感情が動きますし、三味線、お能、真宗とかとか、面白かったです。悲田院というからにはホスピス的な。そことごぜさんの悲しみみたいなことは初演の時はあまり説明が要らなかったのだろうなぁ。
葛の葉のことをもっと認識してから観れば良かった。当時の大人には常識だったのかしらん。ともかく、観れてうれしかったのでした。あ、高橋一生さんも観れたし。りえさんの初音も鈴木杏さんも三味線のお稽古なさったんでしょうね。流石役者だなぁ。