11
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
--
>>
<<
--
calendar_bottom
<< ダーティー・プロジェクターズ | main | インソムニア (不眠症) >>
            
映画 「 浮 雲 」
                                        


おそらく成瀬巳喜男監督の映画を観ようと思ったのだったのだと思う。レンタルしたままもう2ヶ月以上も経っているのに、期限がないのをいいことに意地のようになって返却せぬまま。息もたえだえの長い夏も終わるのだし、あわただしさも過ぎてやっと。

1955年公開。林芙美子の同名小説の映画化。脚本は水木洋子。戦時中に農林省のタイピストとしてベトナムに渡ったゆき子は、農林省技師の妻子ある男・富岡と愛し合うようになる。その後富岡を追いかけてゆき子は引き揚げてくるが、次々と女を変える自堕落な富岡は甲斐性もない。妊娠が判明したゆき子が富岡を尋ねても他の女と同棲しており、その女は元の主人に殺されるという事件まで起る。ゆき子は外人相手の娼婦にまで身を落とし、かつて貞操を犯された義兄の伊庭(いば)に養われるようになる。

そんなゆき子のところに病気だった妻が亡くなったので葬式をする金を貸して欲しいという落剥の富岡が現れる。ゆき子は伊庭のところから大金を持出し、2人はついに富岡が赴任する屋久島に新生活を始めるべく旅立つ。しかし、からだの不調を感じていたゆき子は島に着いたころには身動きもできないほどとなり、病死してしまうのだった。

ストーリーをうまく説明できないのだが、言うならば「くされ縁」の男と女のはなしであるらしい。ヒロインのゆき子は高峰秀子。富岡は森雅之が演じている。事件の女は岡田茉莉子。当時富岡のような男というものがどう受け取られたのか?と思うのだが、どうやら色気がありズルく、見栄っぱりで自堕落な「女の敵」というレッテルを貼られたらしい。ゆき子の方は富岡に執着してしまうところを除けば、自分で立っていけるしゃきっとした女とも言えるだろう。

自然に離れそうで、離れない。切れそうな時に切れない。それは褒め言葉ではないけれど、求められればそれを受け入れてしまう富岡の優しさ。それに伴う不実がそうさせているような気がする。言うならば性質の悪い男であるが、そこが最大の魅力でもある。

成瀬監督はその別れられない理由として「身体の相性が良かったから」という類の発言を残している
そうだ。そういう肉体的なニュアンスというのは、この頃めっきり言われなくなったと思うのはワタシだけだろうか。自分が歳をとったせいでもあるかもしれないけれど、忘れていたニュアンスのような気がしてハッとしてしまった。男女の心の襞の移ろいをこれでもか、と見せてくれる作品だったと思う。どうもこの頃の恋愛映画はにはそんな匂いや温度が薄いような気がしないではない。
[ 映画のじかん ] comments(0) / trackbacks(0)
ENTRY BOTTOM
Comment
コメントする









COMMENT BOTTOM
この記事のトラックバックURL
http://gunjyoiro.jugem.jp/trackback/156
トラックバック
TRACKBACK BOTTOM