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角田光代 著  『 紙の月 』
                                            

NHKでやっているドラマ「紙の月」の1回目を見ました。2回目ももう放送済なのですが、まだ見ていません。おともだちのねこさんがドラマの音作りにかかわっていらっしゃるというのも伺って、連続視聴するつもりです。1回目を見てから原作を手に取りました。

ワタシ、我ながら単純だなぁと思うのですけども、桐野夏生さんにしろ、園子音監督にしろ、外れていくもの囚われているもの堕ちてゆくもの罪をするものに惹かれています。それって、多かれ少なかれ誰も他人事ではなく、仮ごとであるならばこわごわ手に取って感触を確かめてみたいものなのではないかと。

おはなしの概略はこんなふう。梅澤梨花は夫・正文と二人暮らしで、子供がいない。思いたって、わかば銀行でパートとして働き始める。渉外係として顧客を回り、家事をいとわず手伝ううち、独居老人たちから絶大な信頼を得ていく。中でも梨花に御執心の地元主の平林の家で、平林にお金を借りに来た孫の光太に出会う。それから2年、梨花は顧客から預かった1億もの金を着服し、海外に逃亡。梨花のこころに起こったたことは何だったのか?

ドラマのイメージが先行してしまいましたけれど、原作のなかで「石鹸のような」と形容されている梨花を演じているのが原田知世さん。役は41歳ですが、あの少女のままのような彼女が現実には46歳になられるそう。ふーん、やはり時間だけは誰にも平等なのだなぁ。

さておき、女性の横領事件に男性がかかわっていない場合はひとつもないという言われ方が出てきます。それがどういう構造になっているかは別として、お金というのは欲望の代価に違い無く、女性の欲望に異性がかかわらないわけはないのだと改めて。おそらく男性の場合も同じではないかと思いますが、当たり前過ぎて言われないのかもしれず、直接のひきがねになるかどうかは少しちがうのかもしれません。

その時の異性は、めぐりあわせとしてはその人でなければならないのでしょうが、読んでいると、残酷にも、何処の誰であっていいのではないか?と感じさせられます。少し前にワタシ自身がどこかに書いて自分の中に残っていた、本当の恋愛とごっこ遊びはどこが違うのか?という疑問にいくぶん通じているような。読みながらそのことを考えていました。恋愛って何?


ドラマのHPに行きましたら、角田さんがそのことも書いておられました。

「原田知世さん演じるまじめな梨花の、透明な孤独感と空虚感に胸が痛み、人は、愛することも愛されることもなく生きてはいかれないのではないかと、考えさせられました。同時に、相手は光太ではなくてもよかったのではないか、空恐ろしいような気持ちにもなりました。梨花だけでなく、私たちの恋愛の相手もまた、だれでもいいのではないか。だとするならば、恋愛とはなんというまやかしだろう。そのまやかしを、私たちはなんと強く必要としているのだろう。そしてこの場合の「恋愛」を「お金」に置き換えても、まったく意味は変わらないと、あらためて気づきました。」


ワタシ自身はいつも「愛」という言葉を使いあぐねているのですが、確実な「愛」などあるのかどうか。恋愛に限らず、親子にしろ、例えばマザーテレサのような慈愛にしろ。虚構でないもの、絶対のものなどあるのか? と、まあ、大げさに風呂敷を広げないでおくとしても、ただただ身を任せておいて安心な恋愛などというものがあるとは思えない。その思いは、歳をとってしまったせいかもしれません。おおげさに言えば、立つということは、自分の気持ちは自分がひとりで引き受け、随時何かで慰めてお守をし、基本寒風に晒しておくというほどの気構えがあってしかるべきではないのか?と考えたりしながら。

お金の全能感というのははまってしまえば魔物なのに違い無く、そのことは誰でもほんの少しは経験しているのではないかと思います。だって、お金って、有り過ぎる不幸を背負っている人を除けば、すばらしくもこの上なく便利なものですもの。酒や薬やギャンブルや暴力と同じく、小説を読んでいてもお金を使う嗜癖はすごくすんなりしていて恐し過ぎます。ほんのちょっとした叶えられなかった欲望のかたき討ちから始まるのかもしれません。

横領などする機会も信用も持ち合わせていないにもかかわらず、日常からふわりと離陸してゆく梨花を遠い存在には感じませんでした。離陸してしまえば、そのことは期間限定の煉獄であるとしても、静かにふわふわとした覚束ない日常に化けてしまう。


「お金というのは、多くあればあるだけ、なぜか見えなくなる。なければつねにお金のことを考えるが、多くあれば、一瞬でもその状態が当然になる。百万円あれば、それは一万円が百枚集まったものだとは考えない。そこに最初からある、何かかたまりのようなものだと思う。そして人は、親に庇護してもらう子どものように無邪気にそれを享受する。」   
                                                  本文より


ああ、恐い恐い。紙の月は舞台装置の中だけでなく、女の心のひとつひとつでペカペカと光っているのかもしれません。ドラマのつづきもたのしみ。光石研さんのえもいわれぬざらりとした夫ぶりもリアルです。

 ■ 関連 1/23  ドラマ 『 紙の月 』


[ 女子のじかん ] comments(6) / trackbacks(0)
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Comment
こんにちは。
ブログに「紙の月」を取り上げてくださってありがとうございます。
ネタバレになるので詳しくは書けませんが、仕事で観ていたのに
思わず涙してしまうシーンがありました。

梨花やその女友達の心情が心に突き刺さる感じが致します。
最後までご覧いただけたら幸いです。
| ねこ江戸 | 2014/01/20 3:23 PM |
ねこさん、ありがとうございます。またドラマが全部終わったら、おしゃべりさせて下さいませね。ねこさんちにも書かせてもらいましたが、初回の豆腐が落ちたところは音もふくめて効果的で、きもちもベシャっとなりました。
脚本家の篠絵里子さんのものをつづけてみたことがないのでそれも含め、つづきがたのしみです♪ 
| あ き ら | 2014/01/20 10:08 PM |
あきらさん、はじめまして。

他のサイトで、あきらさんのブログを知りました。

セクシュアリティについては、常に心のどこかにありますが
なかなか文章にも出来ずです。
ブログを拝見して、私自身
「私はどこかおかしいのじゃないか…」と悩んでいたことが
少し肯定してもいい部分があるのではないか?と思えたりしております。

公開のブログコメントですので、踏み込んだことに書くことにためらいがありますが、特別なことと考えずにと思いたい…です。

| mizuho | 2015/04/27 10:23 AM |
>mizuhoさん
こんにちは。はじめまして。
お運び下さったうえにコメントを下さって、ありがとうございます。
ホントにホントに。

おかしいのじゃないかとお思いになっていたとのこと。
ワタシはまったくおかしくないのではないかと思います。
ワタシはずっとそのことを考えているといってもいいかもしれません。
若くないのにというより、若くないからこそ心がそちらに向くようになりました。

欲求不満だ、エロいブログだ、なんて言われちゃってます。
気が向かれたら、またおしゃべりにお付き合い下さいね。
| あ き ら | 2015/04/27 8:35 PM |
あきらさん、

コメントの返信をありがとうございます。

ある意味、女性でありながら女性としての象徴と呼ばれるものが
日に日に衰えるようになってきてから反比例のように淋しさと空しさを共に考えるようになりました。

また、他のブログ記事にもコメントをさせてください。

| mizuho | 2015/04/27 8:51 PM |
>mizuhoさん
こちらこそ♪ 空を眺めるように、さみしいとか空しいとか自覚するのがいいように思います。ワタシは、そんな風に思いたくないと無意識に抵抗していましたけれど。
| あ き ら | 2015/04/27 11:55 PM |
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