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ザ・クラッシュだよ。

(動画撤収シマシタ)

[ 音楽のじかん ] comments(0) / trackbacks(0)
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マービン・ゲイだよ。

(動画撤収シマシタ)

[ 音楽のじかん ] comments(0) / trackbacks(0)
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レトロ
きのうの夕暮れ時、近所のさびれた商店街で用事を済ませた。そういえば前にも見かけたことがあるのだが、花やさんの前の空き地に古いもの屋さんが出ていた。おそらく曜日を決めて魚やさんとかパンやさんが店を出しているのだろう。古いもの屋さんと書いたのは骨董品やさんではないという意味で、何といえばいいのかな。まるで東寺の弘法さんの縁日のお店みたいだけど、あくまでしょぼい。こけしとか壊れてる?ラジオ?、絶対に誰も欲しくなさそうな壺とか。そんなのがブルーシートの上にぱらぱら。つい自転車を止めてしまった、そのうえ、買い物までしてしまった・・・。1枚おまけしてもらって2000エン也。


      




しごと場の戸棚の中にあったコップ。酒屋さんの名前入り。そういえば昭和にはこういうのあったね。他は処分したのだけど、おちょこの形のプリントがかわいく思えて捨てられない。いつもはボダムのガラスのマグカップで飲んでいるお湯やどくだみ茶を今日はこれで飲んでみる。吟醸酒とかじゃなくて、一升瓶の廉価な日本酒をガブッと飲むのにも似合いそうだ。


            



こうやって、無くてもいいものを溜めこんでいく・・・・・。
[ おやつの時間 ] comments(0) / trackbacks(0)
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映画「WHERE  THE WILD THINGS  ARE」のこと

     
享受可能なたのしみならば、それを逃さずにおこうと思い、ムスメと一緒にこの映画に行ける日を待っていました。ぜひ子供と一緒に観て、そのことを分け合いたかったのです。結果こども店長の吹き替えで観るということになってしまったのですが、それでもやはり映画館に出かけてよかったーーー!!。多くの人がそうであるように、この映画の原作絵本は本当に繰り返し繰り返し読んだのです。それは聴かされた子供たちの方より、読んだワタシの方の身に染みているのかも。

観ているあいだはそんなことはすっかり忘れているのですが、原作のセンダックの絵本の少年マックスはおよそシンプルにやんちゃっ子で、映画のようなナイーブさを感じたことはありませんでした。絵本は簡潔で、かいじゅうたちは絵本のなかではたった一度しかしゃべらず、名前もありません。かいじゅうたちは凶暴だったり長閑だったりどこかおどおどした表情をしていないこともないのですが、ともかくかいじゅうに過ぎないのです。原文の「Where the Wild Things Are」という英語表現などこれまで知りませんでした。「the Wild Thing(荒々しいもの)」を「おばけ」や「魔物」ではなくて「かいじゅう」として定着させたのは絵本の訳者のじんぐうてるおさんです。

映画を観ている途中、映画が作っている雄弁な世界観についてセンダックは何と言っているんだろう?ということが頭をかすめました。もちろん原作に対するあふれんばかりの親愛の情はすぐにわかりますし、センダックが納得していないのにこんなふうに公開される作品になっているとは思いにくいのですが、それはやはり監督のスパイク・ジョーンズ版であって、まるで違う解釈だって可能だということをぼんやりと思ったからだったでしよう。

映画の世界観をもっともわかりやすくあらわしていたのは、少年マックスがかいじゅうたちの王様になったとき、かいじゅうのキャロルが発する「王様は何でも解決できるんだろ。じゃあ孤独も何とかできるのか。」という言葉だったと思います。他の言葉では説明しなくても映画のなかのかいじゅうたちはとにかく切実にさみしくてさみしくて堪らない。マックスもまた同じ。さみしさゆえの御し難い荒々しい衝動や苛立ちは統合が難しいのです。マックスのさみしさについては絵本にはない設定でリアルに説明されていて、へー、おねえちゃんがいたんだ!とちょっとびっくり。

スパイク・ジョーンズ監督の映画はこれまでに「マルコビッチの穴」しか観たことがないのですけれど、奇想天外な穴の世界と現実世界のからみあいという意味では、マックスの現実世界とかいじゅうたちとの世界というパラレルワールドを持っているところが通じているかも。そうそう、雪山に掘った穴とか木に穴をあけるのが好きなかいじゅうアイラとか穴もいっぱい出てきます。ジョーンズ監督の、幼いころに両親が離婚して母と姉とあちこちに移り住んだという個人的体験を聞くと、やはりマックスは監督自身であり、それゆえに映画がまっすぐに心にぶつかってくるのかな。パンフレットで五味太郎さんが「かいじゅうたちに埋もれて眠りたかったのは、複雑な現代っ子、スパイク・ジョーンズだったんじゃないか?」と書いていられるのもそういうことだと思います。

まだはじめの方のシーンで、マックスがかいじゅうのキャロルに「いいことばかりになるはずだった場所」を見につれて行かれるところがあって。まだストーリーも少ししか展開していないのに砂漠の景色の中をふたりで歩くマックスとキャロルを見ただけでなぜか滂沱の涙が押し寄せてきて。なんでだったのか。マックスとキャロルはごきげんに寄り添って歩いているのに、世界は無性にさみしんだということが迫ってきた感じ。期待に応えない王様はかいじゅうに食べられちゃうんですしね。

目立ちたがり屋のアレクサンダーも疑い深いジュディスも気難しいキャロルも、みーんなそんな部分があるよね、そうそうそういう人いるよね、と思わせます。戦争ごっこは見るのもつらかったけど、子供にとってはごくふつうの幼稚園の園庭でやっている遊びもそういうことなのかもな。酷かったり傷つけたり、得意だったり複雑だったり、力に動かされたり・・。大人のやってることも変わりませんけど。

音楽もいいのです。ムスメが学校の教材で英文を持っていたのですけれど、‘And now’  ‘let the wild rumpus(大騒ぎ) start!’ というのがあの肝心な「では、みなのもの!」「かいじゅうおどりをはじめよう!」。あー、やっぱりそこは英語で聞きたかった(笑)。で、その高揚感ったら、あの音楽抜きには生まれてないでしょうきっと。

とりとめもなく書いてきて、言いたいことはそれだけだったんかどーかわからなくなってきました。きっとこれから先ずーっと、センダックの絵本とともに繰り返し観られることになるであろうこの映画。そういう意味では「となりのトトロ」とか「スノーマン」みたいな定番になるのかもしれません。でもね、お子さまにはもったいないのと、幼児自身が見たがるかどうかはわかりません。うちもムスコはムーミンやトーマスが好きでしたけど、ムスメはポケモンばっかり(笑)。母親にとってはマックスだった頃のじぶんちのこどもは永遠の持ち物なんだな、とか、まだ残してある絵本の本棚の前でいろいろ思うこともあったり。

ともかく大人にオススメです。だって、みんなさみしいもんね。

追記 センダックは原作の単なるオマージュではないこの映画のことをとても気に入っていて、「映画と絵本はまったく異なる芸術品であり、どちらも大好き」と言っています。

[ 映画のじかん ] comments(2) / trackbacks(0)
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Please Please Me

  
   田島さんがビートルズはこればっか聴くと仰せなもんで、
   ワシもも一回聴いて。 で、ごはん片づけましょ。
[ 田島貴男のじかん ] comments(0) / trackbacks(0)
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舞台「高き彼物」
                    

「劇場への招待」でやっていたのもマキノさんの作品でしたが、こちらも。今BSで、観終わったところです。演出の高瀬久男さんが読売演劇大賞を受賞されたというので、よけい観る気になったのですが、いや、本当に良かったです。ちょっとね、このポスターからだと、あんなにおもしろいとは想像できませんけど(笑)。

初演は馴染み深い気がするマキノノゾミ作・鈴木裕美演出だったのだそうです。2000年ですが、その時にマキノさんは鶴屋南北戯曲賞を、鈴木さんは紀伊國屋演劇賞と読売演劇大賞を受賞なさっており、パワーのある作品とはそういうものなんですね。それで題名にも聞き覚えがあったんだ、と納得。

えーと、吉野秀雄さんという方の短歌

「屑煙草集め喫へれど志す高き彼の物忘らふべしや」

から題名は取られています。マキノさんの故郷でもある静岡のおはなしになっており、元教員の50代の猪原が主役で、バイク事故で友人を失ったショックを抱えた受験生の男の子がその猪原の家に寄宿している1週間ほどの間の、二人やまわりの人たちの人間模様を描いています。遠州弁がいい味です。

加藤健一さんがとっても魅力的でした。他の何もかもも過不足無く感じました。短歌は劇中で何度か繰り返し声に出して読まれるのですが、「高き彼物」とは何かということがテーマになっています。人の喜びを自分の喜びにする、人の悲しみを自分の悲しみにする、そういう人になりたかったけどダメだった、と猪原が言います。人の清らかさやうつくしさを素直に考えさせてくれます。そして愚かさも。

芝居っぽいけれん味というのを意識しませんでした。静かな映画を観たあとの穏やかな充足感に似ているような気もします。そして、言うのもおこがましいのですけど、少しでもキレイな人になりたいと思ったのでした。

(NHKのオンデマンドで有料で観れるのだそうで、便利な世の中 になりました。)
[ 舞台のじかん ] comments(0) / trackbacks(0)
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接吻


さっきね、「劇場への招待」をつけていたのだけど、どうもね。
で、チャンネルかえたら田島さんが歌いだしたの。うふふ。
今夜は宿題の〆切。
[ 田島貴男のじかん ] comments(2) / trackbacks(0)
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映画「キャラメル」

 
    観たのは 年末。マサコさんは蔵之介さんのふぁん仲間でもあるけ
    ど、もともとはワタシと同じ仕事の先輩のおともだち。そのマサコさ
    んに誘われて、美術館の地下の視聴覚室で観た。舞台はベイル
    ートで、女の子の為の女の子の映画だったかと思う、「キャラメル」。

    マサコさんはワタシよりだいぶお姉さんなのだけど、美人のせいも
    あってなのかどうかおばちゃんではなくてあくまで女の人である。お
    しゃれさんだし。そういう人と一緒にこの映画を観るというのは何だ
    か特別にたのしいことのように思う。ワタシ自身いつも外出はせわし
    なく、どこかで自分の役割とか環境をひっくるめて背負いながら歩
    いている気がするし、悪い意味で女の子じゃなくなっていく感もつき
    まとっている。それはおそらく同時にしあわせなことでもあるのだが、
    そこから解放されるような気分になるからかもしれない。女の子どう
    し。
                     
    
美人といえば、このポスターのきれいな女優さんがこの映画の監督
    でもある。 レバノン美人とでも言えばいいのか。
    映画の中の音楽はやはりアラブめいているけれど、フランス語もちょ
    いちょい。どーやら一次大戦のあと、フランスの統治下にあったせい
    なのではないかと思うが、そんな説明は一切なし。イスラム教とキリ
    スト教の両方があるのだな、なんてことも少し察せられる程度。レバ
    ノンの内戦のはなしやベイルート侵攻なんてごたごたしたお国事情の
    ことも出てこない。ベイルートが中東のパリと呼ばれるなんてことは
    後で知ったことだ。

    ストーリーの説明では舞台はエステサロンとなっているけれど、日本
    人の感覚でいえば町の美容院。映画の題名のなっているのは脱毛
    の為に砂糖を焦がして作られるなめらかなキャラメルのこと。そのペ
    ーストを足などに塗って、剥がす。めちゃめちゃ痛そうなのだけれど、
    その甘くて熱いキャラメルには塩とレモンも入っていてビター&スイー
    ト。そしてきれいになって、しあわせになって・・・。女の子の思う
    ことは世界共通らしい。

    その美容院に集う女の子たち。不倫の恋に振り回されるオーナーの
    ラヤール。従業員のニスリンはフィアンセに過去を打ち明けることが
    できず、もう一人の従業員のリマは女性に惹かれる自分に気付き始
    める。常連客のジャマルは年齢を重ることを受け入れられず、サロン
    の向かいの仕立て屋のローズには抱えている姉がいて自分の人生
    をあきらめている。やはり女の子の気がかりも世界共通。どういう価
    値観なのかさだかに説明することはできないのだけど、東洋とも西
    洋とも少し違うらしいその価値観が興味深い。そして自分の場所で
    頑張っている女の子たちはそれぞれみんな愛おしい。
[ 映画のじかん ] comments(0) / trackbacks(0)
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総理大臣どの@Twitter
先日もののためしというか、出来心でTwitterなるものに登録してみました。
考えなしにやってることですので、たまに行ってほんのわずかなフォロー
している人のコメントを眺めているだけなんですが、そういうコミュニケーショ
ンツールに自分がどのくらい馴染むものやらちょっと未知数です。

どんだけ人は寂しいんだか、暇なんだか、ということと無縁でもないですね、
たぶん。いろんなしがらみは面倒だけど無駄なことしゃべらないのは寂しい
し。いや、情報も欲しいし耳に痛いことばも聞きたいというようなこともあるで
しょう。刺激してくれるものが欲しいとか。そういえば、HPとか始めた時には
すごーく違和感があったのに、そのへんのことはすっかり麻痺して、その時
何を感じていたんだかもう忘れてしまっております。そうそう、自分中心
というか、俺さま的なニュアンスに対してだったでしょうか。

フォローしているといっても鳩山首相とか国会議員の方とか(笑)。
それらの方たちにとっては一般市民に身近に感じてもらうというメリットがあり
そうで、労力が少ないので便利なツールなのでしょう。
そこから鳩山さんの鳩カフェというblogにリンクされていたので行ってみた
のですが、blogやTwitterは平田オリザさんの発案によるものだそうで、
ああ、ここでもオリザさん。

この前新聞の大きな記事に松尾スズキさんへのインタビューが載っていました。
そうそう、オリザさんとも同じ歳ですが、大人計画の松尾さんに大人とは
どういうものかを問うという趣旨のインタビューのようでした。
18歳から成人というふうに規定しようという流れを問うというニュアンスも
あったみたい。

おもしろくないと言うよりは、おもしろがれるのが大人なんじゃない?というような
記事だったかと。がんがん大人ってことにしちまうのもいいかもね、というような
ことも仰っていたかと。あと、補助金もらってやってるおもしろみの少ない
芝居よりばかばかしくてもおもろい方がいいんじゃない?的な発言も。
誰かさんのことですよね。

政治のことがわからないと言うばかりではマズイとは思っておりますが、18歳
成人という流れには徴兵がからむでしょ?たぶん。わかんないけど。
護憲ばかりが正しいとも思いませんが、デリケートでややこし過ぎるだけに
護憲の方が大人の知恵なんじゃないかとか思っております、はい。


まったく違うはなしで恐縮すが、あの
上海バンスキング再演
だそうですね♪
役者さんの年齢は上がり過ぎでしょうが、たぶん泣けるだろうなぁ。
一応徴兵つながりってことにでもして下さいませ。
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国芳の四十七士展
     


 ひろしま美術館の国芳の四十七士展」を観に行ってきました。

以前に忠臣蔵の基礎知識が欲しいなぁと思ったのは、舞台の
冬の絵空」を観ようと思った時で、基礎知識が無いとアレンジに
ついていけないと思ったからなのですが、予習もできなかった
あげくに舞台も観損ねるというはめになりました。

それで今回、好きな国芳の絵で四十七士を観るにあたって、や
っと小説を読んでみました。何も考えずに買った森村誠一さんの
「忠臣蔵」の表紙が奇しくも国芳の絵で、たのしいめぐりあわせ
ともなりました。

とてもヒットした浮世絵シリーズなのだそうですが、今でいえば
どのくらいの値段で買えたのでしようか。仮面ライダーカードや
ポケモンカードというわけにもいかなかったのかな。二八そば一
杯が十六文で、300円ほどといいますからそれくらいかも。コ
ンビニで買える新撰組のお人形を集めたことがありますけれど、
浮世絵(プロマイド)を買うのもそんな感覚だったのかもしれま
せん。

展覧会に行って感じたのは、すごい素人考えですが、バガボン
ド(これは漫画だけど、アートに近い?!)の展覧会とかそういう
感じ。ポップ(その意味がよくはわかってませんが)に近く、大衆
的で通俗的、大量に出回っていて、若々しく洒落ていて魅力的。

犬将軍の時代、うっぷんを溜めていた庶民は四十七士が大好
きだったらしく、その後の人生で四十七士としての美名を汚さぬ
ためにも切腹になったんじゃあないかと思うふしもほんの少し。
徳富蘇峯が、芥川龍之介や菊池寛などと対談している折に、四
十七士のことを「彼らはなかなか遊戯気分でやってゐるんです」
と発言したそうなのだけど、よくは知らないワタシにさえもそういう
何かが感じられるだけに忠臣蔵というのは興味深く思われます。

だいいち武士道なんてものが虚々実々のものなんじゃあないだ
ろうか、と。高い禄を食んでいたいたものがかたき討ちをしたという
わけじゃなし、部屋住みだったり浪人だったりしたのに討ち入って
いるわけで。死ぬと決まっていたわけでも無いでしょうが、死に場
所探しという側面も否みがたい。思えば現代の誰かれでもそういう
部分が無いとはいえないでしょうが、生活は苦しくても若くて健康
な者が、おのが死の可能性が高い生き方をわざわざ選択してい
るのですし。

かたき討ちも含めて事件全体を生み出したのは時代なのであり、
そんなこんなをひっくるめて。あるいは何もわかってなくても、
嗚呼、今日は討ち入りの日だわね、雪だわね、なんて言うことのた
のしさ。武士の儚さやら人の定めの切なさやら、そんなものを、芝居
を、長い時代を経ながらもたのしむことのできる豊かさやら。GHQが
許してくれたからこそ続いているのかどーかわかりませんけれど、
忠臣蔵のカタルシスに浸れるなんて日本人でよかったなぁ、なんて
ね。
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