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映画 「 一 命 」
                   


 極めつけていけてる映画というものは、そうめったにあるものではないと思います。それぞれの分野で最高のレベルだろうな、というのが残っていくものなのかな。個人的には満足しました。ワタシは三池監督の「十三人の刺客」を観忘れていることに今頃気付ましたが、まあ、忘れるくらいの期待度だったといえばそうなのか?「ジャンゴ」はたのしかつたけど、まあまあでした。

どうやら「一命」は「十三人・・」とは毛色が違う作品のようです。だからこそそそられたのかもしれません。バイオレンス、過剰、けれんみといったイメージの三池監督が作っているのに、静謐といってもいい色合い。そこがアンバランスといえばそうなのか?個人的なうれしさは、歌舞伎では好みと感じたことのない海老蔵さんを、とってもいいと思ったことでしょうか。

ど素人でも時代劇の役者の居住い、所作、歩き方、腰のすわりはとても気になります。まず存在感がしっくりしないと、全体がスカスカして見たくなくなります。その点、やはり歌舞伎役者は強い!!そして成田屋の海老さまというきらめくアイコンはやはり伊達じゃなかった!!沢山の人に感情を注がれて取り囲まれた時の存在の確かさは一種快感でした。

原作は滝口康彦さんの「一命」の中の短編「異聞浪人記」(1959年)。これは小林正樹監督によって、当時のシニカルな敵役という立場だった仲代達矢さん主演で「切腹」(1962年)として映画化、カンヌにも出品されたそうです。いい映画だったらしい。その再映画化。


ざっとしたあらすじはこうです。江戸の初頭世の中は平和になったが、大名家のお取り潰しが相次ぎ、浪人たちの暮らしは困窮した。裕福な大名家の庭先で切腹させて欲しいと押しかける「狂言切腹」が流行する。面倒を避けたい大名家から職や金子をもらおうというゆすりの手合いだ。

そんな折、浪人津雲半四郎(海老さん)が名門の井伊家を訪ねて庭先での切腹を願い出る。家老の斉藤勘解由(役所さん)は以前にも同じことを願い出た若い浪人、千々岩求女(瑛太くん)の無惨な最後を半四郎に話し、思いとどまらせようとするのだが。。


アンバランスと言ったのは、美術と音楽(by坂本龍一教授)がこれでもかと禍々しのがどーかいな?という第一印象だったからです。ま、三池作品だからな、と観ているうちに馴染んでしまいました。後で美術の林田裕至さんの記事を読みましたら、「ゴシックホラー」のイメージがあったとのことで、いいか悪いかは別として納得。三池作品らしい楽しみとして受け取れば、美味かと。「CASSHERN」や「阿修羅城の瞳」も林田さんだそうです。

狂言切腹といういびつな行為。形骸化した武士道。御家人という正社員と、浪人という雇い止めにあった行き場のない人々。セーフティーネットのない社会と格差。武田から受け継いだを精鋭部隊赤備えを率いた名門・井伊の屋敷がメインの舞台装置。武士という矜持。武士にとっての死。時代劇という寓話の世界の中で再構築された物語。

脚本家は山岸きくみさん。生活の場面が濃いのはやはり女性らしさかもしれません。報復劇であってはならないので血は流れないものの、グロテスク風味はやはり三池流。原作や映画「切腹」からの足し引きも、どこがどのように?と興味を惹かれます。

三池監督が黒澤映画フォロワーなのはいわずもがなですが、海老さんに三船の役をやってみせて欲しいと思いながら見ていました。半四郎、貧乏浪人なのに、お着物の生地が上物だわとか、いらんことを思っていたら、衣装は三池組初参加の黒澤和子さんでした。

初め「ほほ、この3人美味しいな」と思った青木崇高・新井浩文・波岡一喜のトリオ。文字通り。椿三十郎とか踊る大捜査線とか小悪はトリオと決まってるのか? いらしただけで強い竹中直人さんと笹野高史さん控えめ。中村梅雀さん、瑛太くんの父ちゃんには見えんね(笑)。あと、仁科貴さんワンポイント使い。役所さん、やはり流石というべきか。満島ひかりさん、はじめてきちんと拝見。3D上映だったものの2Dで観たので、それについては別に感想はなし。

白い猫が、貧窮を極める求女の住まいと、家老の勘解由のところにそれぞれいるのですけれど、それらはそれぞれの人の有り様を見つめる視点。最期の修羅場の屋敷の中、勘解由のふかふかお座布団にも座っておりましたとさ。

作品から投げられたボールをうまく捉えられているのかどうかいささか覚束無いのですが、映画「切腹」の方も忘れぬうちに観てみるつもりです。



[ 映画のじかん ] comments(4) / trackbacks(0)
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原田真二 「タイムトラベル」
         

蔵之介さん出演のドラマが明日から始まりますね。今朝の番宣でもバックにこの「タイムトラベル」が流れていました。今回はスピッツがカバーするこの曲はワタシたち世代には懐かし曲です。そして、アイドルとして扱われていた原田真二さんのそのころのことを思い出し、他の曲も聴きたくなってCDを買ってしまいました。

CDのライナーノートによれば、「77年デビュー、デビューアルバム初登場1位、夏には武道館」。吉田拓郎さんに見出され、突然にTVに現れたポップスの王子さま。初期の全部の曲を松本隆さんが手がけていて、女の子たちはアイドルとしての彼にキャーキャーと夢中でした。Char や 世良公則さんが同じようにキャーキャー言われていた頃でしょうか。

一流のメロディーメーカーで、ミュージシャンだった彼は、アイドルの枠から外れていくことでおそらくセールスや黄色い歓声を失っていったのでしょう。音楽のこともよくはわからないけれど、ポール・マッカートニー的と言われる彼の音楽が、ただの真似っこではないことは曲そのものが伝えてくれているのじゃないかと思います。

音楽や芸術はどんなふうに換金されるべきなのか。表現者をつづけてゆく生き方。そんなこともチラとアタマをよぎりつつ、ともかくこの曲がポップスのたのしさを存分に沢山の人に届けますように。願わくば、原田さんの活動により陽があたりますように。

追記 11/10
何を今更ということかもしれないが、ハタと思ったこと。松本隆さんの「キャンディー」の歌詞は無邪気な甘さに見えて官能的な色ねと思っていたわけだが、もしかして何となく幻想的なイメージと思っていた「時間旅行のツアーはいかが?」はとんでもなくエロい歌詞なんじゃないか?そのあざとさが表に立たないところが松本さんのしごとっぷりってことなのでせうか。




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秋空
 欲しいものリストというのが密林さんにあるでしょ?「あー、ポチしたい」という時にあそこに入れて、少し熱をさますというのはみなさんもなさっているのかしらん。本やCDは買っておかないと、そこにたどり着いた自分の気づきを忘れてしまいそうだから買っていまふというところがあって、まあ、入れておけば一応は忘れはしないのですわ。しばらくたって興味が薄れていればそのまま忘れていくという具合。

今朝はそのリストからナット・キング・コールのCDと、Twitterでいろいろおしゃべりしていたらすっごく聴きたくなってしまった原田真二さんのCDをポチリ。どうしてお買い物はたのしいのかなぁ。密林さんのお買い物を1年で計算したらおそろしいのでしていないのですけれど、薄々わかる気がします。あーまずいまずい。ちょっとしたビョーキかもしれません。

お買い物といえば、この前、ずっと懸案だった圧力鍋を新調。とても便利になりました。お昼ごはんによくうどんやおそばをするのですけれど、昨日は昆布と干ししたけのお出汁。夕ごはんには、その昆布としいたけに冷蔵庫にあったごぼうと大根のはしきれと人参のはしきれ、あとこんにゃくを入れて圧力鍋でおにしめを作りました。そういうの、からだにおいしいと思うのはやはり年齢でしょうか。

さて、今日からやっといいお天気のよう。サクサクとはいかないまでも、ぼちぼちおしごとやっつけませう。



            


       ( 昨夜初めてWOWOWドラマのパンドラシリーズといふのを見たのですが、
         エンディングがトニー・ベネットのこの曲でした。ドラマの終わりにそういうの
         もいいなぁと思うのは、やはり若くなくなったからかもしれません。 )




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Marlena Shaw
                       


だんだん朝が冷たく。世の中は3連休らしい。ちょっことおしごと一段落。散財したりするのは無理なんだけど何か気分転換したいという時、何がいいかしらん。おしゃべり? お酒? 美術館? ゴダール映画祭は2週間もあったのに、ついにひとつも観れず。もうシネ歌舞伎が始まっているらしい。 ソファーで毛布にくるまってDVDを観ながらお昼寝なんていうのもこたえられないだろうけれど、そうもいかないんだよね。






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舞台 「ロベルトの操縦」
 

またも行ってきましたヨーロッパ企画。一緒に行ったウチの高校生が4本目と行っていたので、ワタシも4本か5本めなのでしょう。演劇ふぁんは誰も気にしていないと思いますが今回も我がダーリン田島の盟友の小暮さんが音楽担当なのも意味なくちょっとうれしい。

さてさて、まるで子供のごっこ遊びの延長のような、ヨーロッパ企画の舞台がもたらす心地よい満足感の理由はなんぞや? シリアスとも豪華とも重厚とも程遠く、ツボをついてくる愛らしさで、全体はゆるゆる。確実に最後まで油断して笑って観ていられる。

かといって、それとはわからないほどのさりげなさで確実に今の人間というものを揶揄している。そのことは無意識にしか感じないほど。「“移動”というものは何か人を高揚させるのでは?」というのんきげでシンプルな上田さんの思いつきに笑って付き合っているだけのつもりが、すっかりその手に堕ちてしまっている。

舞台中央に鎮座する近未来的戦車の名前がロベルトなのだけれど、出動命令が出ないまま砂漠の中ではや2週間。ロベルトに乗って2キロ先にあるかもしれない自販機にコーラを買いに行こうという思いつきは、待機命令を無視して海に泳ぎに行こうになる。誇大妄想的ロマンをも取り込んで壊れたバイクもほったらかして仕事もやめて現実から逃げ出そうになっていく。賛成派も反対派もひとりひとりの意見はみな違うのにそれらは忖度されるわけでもなく、あくまでなし崩し的に場当たり的に流れてゆく。

そのことはコミカルでテンポよく進み、おもしろいツボのところは子供をいないいあいばぁの繰り返しで喜ばすみたいな調子で笑いを生み出していく。エンペラーの魔法の棒みたいなのが出て来たときにはめっちゃ笑ってしまった。仕方がないなぁヨーロッパ企画だもん、という笑いなのだけど許せてしまふ。

登場人物たちはみな愛らしいのだけれど、愚かしくって、落語の長屋の熊さん八っあんにご隠居さんや大家さんといった感じに似ているのかもしれない。そんな登場人物たちが不安だったり自棄だったりするのだけれど、嬉しそうでイキイキとしてロベルトに搭乗している。確かに観ている方もロベルトが走り出すと爽快感があるのだ。

ヨーロッパ企画のスタンスというのはずっとこのままなのかどーかわからないけれど、こちらも自分なりの付き合い方がわかってきたというか。大袈裟に楽しみというわけでもなく、出かける支度を苦にするでもない。手頃な値段で90分の舞台を笑って観る。こころがふわふわしたりギリギリしたりはしないけれど、お腹にちょうどよい上質なごはん。その程よい心地よさを抱えて、スムーズに普通の暮らしにすぐに戻ってこれる。そんな感じ。

ご馳走さまでした。







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