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鶏とやにつく (  72候 / 72候 )
                                        


大寒の最後の候は 「鶏とやにつく」。鶏が春の気を感じて交尾し、卵を産み始める時期の意だそうです。今年の冬は始まりが早かったですが、案外寒さはきびしく無かった気がしますね。雪もあまり降りませんでした。

そうそう先日、例によって句会前夜の俄か俳句づくりで、『 寒玉子 』 を読みたかったのですが、うまくいきませんでした。寒の玉子といえば栄養が高くて滋養があるとしてよろこばれるのだそうです。小人数のおうちでも必ずなければならないものだし、消えて無くなるものだし、寒中のお見舞いや手土産にもさりげなくていいかも。

寒のお水を飲むといいと言われ、寒に搗くお餅も食べると一年健康に過ごせると言われているそうですよね。そういえば実家の母が今日はともだちが集まってで餅搗きをすると言っていました。農作業できない寒い季節のたのしみといったところでしょうか。日差しや空の色がどこか春めいていて、うれしいようなさみしいような。

 

             寒卵二つ置きたり相寄らず  細見綾子 




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井上荒野 著 『 あなたにだけ わかること 』 など
              

「あなたにだけ わかること」は長編で、「夜を着る」は短編集です。どちらもそれぞれにうまいなぁと思います。ああ、その感情 とか あ、その感覚 とか。

やけになる、やらかす、のうのうとする、手に入れたがり手放したがる。ハッとする、寒々とする、愛しみ、慈しむ、執着する、宙ぶらりんになる、戸惑う、感情が走り、意地わるくする、苦しくなる、諦める。そんなことだとか。日常に横たわる不穏。感触は乾いています。

にしても、井上さんが悪いのではちっとも無いけど、自己充足の技量が低い女子が読むにふさわし過ぎる気がして、ちょっと嫌になるなぁ。

海外の犯罪ドラマばかり見ていたら、なぜこんな猟奇的なことばかり見続けているのか、よくわかんなくなるよと言ったともだちがいたけれど。それと似ているかも。


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井上荒野 著 『 ベーコン 』
                                       


今は重たいものやら読まないなと自分に見切りをつけて、短編集を手にしました。井上さんのものを読んだのは2010年の直木賞受賞作の「切羽へ」だけかと思っていたのですが、読み始めてだんだんに思い出したのは、読んだことがあったというお粗末。なので、真ん中あたりの2,3篇は覚えてはいないけど、読んでいません。

どうして井上さんのものは不穏なのだろうなぁ。誰かが何かを言ったり、何かをする時、どういう意味なのかはっきりしません。どう転ぶのかわからない。そして、それが本心なのか、ふりをしているのかもわからない。

自分の心をまもるためのふりだとか、誰かと一緒にいるための優しさとしてのふりだとか。何が嘘で何が嘘でないのかも判然としないような。そこにある何かは消えてしまうのか痕跡を残すのかもわからないような。不穏の底にあるのは登場人物の虚しさや哀しさの色の濃さのようにも思えます。

読んでいて、その虚しさや哀しさを共有することが嫌なようでもあり、よりハッキリ突きつけられたくもあり。おそらくそんな井上さんの作品から感じるものは、お父上が
井上光晴さんであることを抜きにはできないのだろうと思います。

全編食べ物の題名がついており、つい中の 「アイリッシュ・シチュー」を作りたくなりました。


                     




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ドラマ 『 紙の月 』
       
                            

前の前の記事で、ドラマの原作を読んだということを書きました。そしてその、ドラマ「紙の月」の2回目を見ながら、何だかなぁー、おばさんが見たがる感があからさまに山盛りなのはどういうことかなぁと考えていました。視聴者は主人公の梨花ほどに若くも無いし美しくも無いにしろ。少なくとも男子は見なさそうです。

ありがちなイメージとして、世の中年男子が無理解な妻にでなく、願わくば若い、魅力的な女子に何かをに求める。それと同じように世の中年女性も無理解な夫にではなく、自分を認めてくれる魅力的な男子に何かを求める。無理解ではないとしても、はっきしてくるわかりあえなさを埋めるものだとか、手のうちに無いものを求めるきもちだとか、その隠しきれない潜在的な希望をドラマは美化し、白日のもとに晒してくれることにカタルシスを覚えるってことかな。

どういう言葉だったか忘れましたが、ドラマの中で、「対等な人としての妻ではなく、庇護されるべき妻である自分」を必要としている夫であると気付いたと言っていました。よくわかるし、そんな風に杓子定規に規定出来るほど単純ではなかろうよ、とも思います。夫の側もいざとなれば女性の強さに頼りたいと思ってもおりながら、庇護していると思わせておいてほしいという甘えを常としていたり。妻の側もいざとなれば、男なんだから頼りがいがあってほしいとも思っていたり。なんとかかんとか。あーめんどくさい。そのへんのややこしさのひとつの側面を鮮やかに切り取って見せてくれることで共感を覚えるってことでもありそうです。

そうそう、横領のはなしですけども、このごろ現実社会で逮捕された中年男子の横領額は24億円でしたね。検索してみましたら、1973年の女子行員(42才)の横領は9億円。タクシー運転手(32才)のギャンブル代を貢いだといわれており、1981年もまた女子行員で、1億円。2001年のチリ人妻に貢いだとされる住宅公社職員は14億円、2012年工業ゴム会社経理係長はキャバクラ嬢に6億円・・・。

小説の1億は現実感が無きにしも非ずと思いましたが、何だかお金ってすごいものだなと今更。事実の細部は知りませんが、使えるものなのね、24億も。異性がそこに関係するのは当たり前過ぎるほど当たり前だったですね、やはり。若い女性がお好みで、複数の女性に同時に貢ぐというのは、やっぱり男子の子孫繁栄本能によるものなのかしら?なんて。金額が大きくなるのも男性のそういう性情のせいもあるのかな?とか。

ま、あれこれ屁理屈を並べるほどのことでも無いのでしょうが、どこかね。それを見ている自分自身が、欲望的中年もしくは初老女子らし過ぎて恥ずかしいとか、ベタでかっこ悪いとか、そんな気持ちがあるのかな、ワタシ。


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大寒   蕗のとう花咲く (70候/72候)
                   



フォーチュン・クッキーといえば中華料理屋のものと思っていましたら、北陸地方の神社で新年の祝いに配られていた辻占煎餅というのが起源だと、このまえNHKのグレーテルのかまどでやっていました。サンフランシスコの日本庭園を造った庭師の人が、庭園の茶菓子として出していたものが広まったのだそうです。

焼き立てのお煎餅がやわらかいうちに運勢が書かれた紙片を閉じ込めて形作ります。言われてみれば、そうして作る以外無いですね。

今日デリカテッセンに寄ったら、すまし顔のごまだんごや海老餅と一緒に売っていたのでつい。よく考えれば、受験まっただなかのムスメの運勢を占うなんて恐いわと思いましたけども、中身はちょっとしたメッセージが書かれていました。

メッセージはこう。「湧きあがる好奇心に純粋に従いましょう」 「食べることに感謝して大切にしましょう」 「何かを始めるときに遅いなどとは考えません」。  ハーイ! やはりフォ−チュン・クッキーは何だか少したのしいのでした。

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角田光代 著  『 紙の月 』
                                            

NHKでやっているドラマ「紙の月」の1回目を見ました。2回目ももう放送済なのですが、まだ見ていません。おともだちのねこさんがドラマの音作りにかかわっていらっしゃるというのも伺って、連続視聴するつもりです。1回目を見てから原作を手に取りました。

ワタシ、我ながら単純だなぁと思うのですけども、桐野夏生さんにしろ、園子音監督にしろ、外れていくもの囚われているもの堕ちてゆくもの罪をするものに惹かれています。それって、多かれ少なかれ誰も他人事ではなく、仮ごとであるならばこわごわ手に取って感触を確かめてみたいものなのではないかと。

おはなしの概略はこんなふう。梅澤梨花は夫・正文と二人暮らしで、子供がいない。思いたって、わかば銀行でパートとして働き始める。渉外係として顧客を回り、家事をいとわず手伝ううち、独居老人たちから絶大な信頼を得ていく。中でも梨花に御執心の地元主の平林の家で、平林にお金を借りに来た孫の光太に出会う。それから2年、梨花は顧客から預かった1億もの金を着服し、海外に逃亡。梨花のこころに起こったたことは何だったのか?

ドラマのイメージが先行してしまいましたけれど、原作のなかで「石鹸のような」と形容されている梨花を演じているのが原田知世さん。役は41歳ですが、あの少女のままのような彼女が現実には46歳になられるそう。ふーん、やはり時間だけは誰にも平等なのだなぁ。

さておき、女性の横領事件に男性がかかわっていない場合はひとつもないという言われ方が出てきます。それがどういう構造になっているかは別として、お金というのは欲望の代価に違い無く、女性の欲望に異性がかかわらないわけはないのだと改めて。おそらく男性の場合も同じではないかと思いますが、当たり前過ぎて言われないのかもしれず、直接のひきがねになるかどうかは少しちがうのかもしれません。

その時の異性は、めぐりあわせとしてはその人でなければならないのでしょうが、読んでいると、残酷にも、何処の誰であっていいのではないか?と感じさせられます。少し前にワタシ自身がどこかに書いて自分の中に残っていた、本当の恋愛とごっこ遊びはどこが違うのか?という疑問にいくぶん通じているような。読みながらそのことを考えていました。恋愛って何?


ドラマのHPに行きましたら、角田さんがそのことも書いておられました。

「原田知世さん演じるまじめな梨花の、透明な孤独感と空虚感に胸が痛み、人は、愛することも愛されることもなく生きてはいかれないのではないかと、考えさせられました。同時に、相手は光太ではなくてもよかったのではないか、空恐ろしいような気持ちにもなりました。梨花だけでなく、私たちの恋愛の相手もまた、だれでもいいのではないか。だとするならば、恋愛とはなんというまやかしだろう。そのまやかしを、私たちはなんと強く必要としているのだろう。そしてこの場合の「恋愛」を「お金」に置き換えても、まったく意味は変わらないと、あらためて気づきました。」


ワタシ自身はいつも「愛」という言葉を使いあぐねているのですが、確実な「愛」などあるのかどうか。恋愛に限らず、親子にしろ、例えばマザーテレサのような慈愛にしろ。虚構でないもの、絶対のものなどあるのか? と、まあ、大げさに風呂敷を広げないでおくとしても、ただただ身を任せておいて安心な恋愛などというものがあるとは思えない。その思いは、歳をとってしまったせいかもしれません。おおげさに言えば、立つということは、自分の気持ちは自分がひとりで引き受け、随時何かで慰めてお守をし、基本寒風に晒しておくというほどの気構えがあってしかるべきではないのか?と考えたりしながら。

お金の全能感というのははまってしまえば魔物なのに違い無く、そのことは誰でもほんの少しは経験しているのではないかと思います。だって、お金って、有り過ぎる不幸を背負っている人を除けば、すばらしくもこの上なく便利なものですもの。酒や薬やギャンブルや暴力と同じく、小説を読んでいてもお金を使う嗜癖はすごくすんなりしていて恐し過ぎます。ほんのちょっとした叶えられなかった欲望のかたき討ちから始まるのかもしれません。

横領などする機会も信用も持ち合わせていないにもかかわらず、日常からふわりと離陸してゆく梨花を遠い存在には感じませんでした。離陸してしまえば、そのことは期間限定の煉獄であるとしても、静かにふわふわとした覚束ない日常に化けてしまう。


「お金というのは、多くあればあるだけ、なぜか見えなくなる。なければつねにお金のことを考えるが、多くあれば、一瞬でもその状態が当然になる。百万円あれば、それは一万円が百枚集まったものだとは考えない。そこに最初からある、何かかたまりのようなものだと思う。そして人は、親に庇護してもらう子どものように無邪気にそれを享受する。」   
                                                  本文より


ああ、恐い恐い。紙の月は舞台装置の中だけでなく、女の心のひとつひとつでペカペカと光っているのかもしれません。ドラマのつづきもたのしみ。光石研さんのえもいわれぬざらりとした夫ぶりもリアルです。

 ■ 関連 1/23  ドラマ 『 紙の月 』


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センター試験

                      

焼きりんごにアイスクリームをのっけたところ。カロリーですか? 今、調べてみました。 りんご150kcal バター95kcal  砂糖 100kcal と、アイスクリームの分。 まあ、たまにはいいんじゃないですか? とはいえ、お正月あたりから食べ癖がついて体重が重め安定中です。体重がすっきりすると気分もすっきりするんですよねー、困ったなぁ。

でもね、明日センター試験から帰ってくるムスメの為に、もちろんついでにお相伴もしますが、また作っておくつもりです。焼きりんご。



別のはなし。あらかじめ言うと、それでどうという結論もないのですが、昨日の直木賞の会見をニュースでチラっと見ました。自分と同年代のサンプルとして見ているのですよね、受賞なさった方のこと。ふーん、客観的に見ればこんな感じの年齢なのね、ワタシと。いや、毎日一応鏡は見ているのですけども。

きちんとした感じが好ましい、そう見られたいと思えばそのようなセルフプロデュースを施せばいいのだし、解放されてる感じにとか、豪放な感じとか、ありのままの感じとか、まあ好きなようでかまわないわけで。それを、ジャージはナシだなと思う人がいてもそれはかまわないでしょう。たぶん。

でね、なーんも受賞しないし、会見もしないし、TVにも映らないワタシはどうなんでしょう?。ありのままといったって、それが結構難しくないですか? 案外飾ったり隠したりはできないものだけど、やっぱり何かこう見られたいという意思は無意識のうちにあるみたいなんですよね。

きちんとしていると思われるのは好ましいけど大らかでのびのびしてるとも思われたい。思われたいってことはそうありたいってことでもありますね。すこし狂おしさも秘めてるぞとか、寂しさも受容できてる大人だぞとか(笑)。

いやいやまずは、素直で優しいくありたいぞとか、欲を言えば身きれいにしている感も欲しいぞとか。そんなことをただもやもやと思ったのでした。


( 何時もたのしみに読みに伺っているカリ―ナさんの頁から帰って、今日の文を書きました。たぶん刺激をいただいて、もやもやと考えているのだと思います。)


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山川方夫 著 「 愛のごとく 」「 海岸公園 」他
                                     

ワタシは山川方夫という人を認識していませんでした。ウチの女子高生としゃべっていたら、彼女が、さっき読んだ国語の長文の小説に、 本来この世に話し合いというものは無い って書いてあったよと言うものですから、興味をひかれてその文章を読んでみました。それが山川方夫の「海岸公園」からの引用文でした。

父は早くに亡くなり、妾と暮らしていた祖父は経済が逼迫しているのにじぶんたちの家に戻るとは言わず、妾の養子の家に行くから仕送りをしてくれと言い、ワタシの母と喧嘩になって大事の最中なのです。そのことは、作家自身の現実の境遇とも重なっており。

「人生、喧嘩する以外に、おさまりのつかんこともあんだよ」・・・意志の衝突した話し合いは、実は衝突にそのものに過ぎない。目的の一致した話し合いは、事務的なとりきめの手続きでしかない。その意味で、この世に話し合いは存在せず、協調というのも、実はお互いが国境をひきあうことなのに過ぎない。

話し合いについての文章はそのあたりなのですが、それはただそれとして、周辺の文章が何だか好きだなと思い文芸文庫を買ってみました。そして、何だか鉱脈を引き当てたように、ぐんぐん5つ6つの長からない小説を読んでしまったのでした。どの作品の中にも現実の若き作家自身の逡巡や自戒や不安があるように思え、その感触はワタシには好ましいのでした。

昭和5年生まれの山川方夫はワタシたちの親世代にあたり、何度も芥川賞や直木賞の候補になっているらしく、慶応の「三田文学」の第三次創刊をし、江藤淳に「漱石論」を書くようにアドバイスしたのが彼であるのは有名はなしなのだそう。

交通事故で34歳で亡くなっているのだそうですから、もし生きて作家をつづけていればきっともっと早く出会っていたのではないかと思います。作品ももっと違うものになっていったはずでしょう。青春小説と言われればそうなのですが、肌触りは油ぎってもおらず、熱くもなく、湿度も高くなく。若々しく寂しい清潔さというか、清冽な冷たさが心地よく感じられます。そして、戦後という崩壊の時代の影も抜きには出来がたく感じられるのでした。


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泉水温をふくむ ( 68候 / 72候 ) 

          



こんなところにわざわざ愚痴を書くのは嫌だったはずなのに、何時も書いていたような気もしますね。ま、愚痴っぽいおばさんの自分も許してやるさ。昨日、一昨日、突風に巻き込まれたようなここちになっていました。そんな時、ワタシの常套手段は時間をかまわずおふとんにもぐりこむこと。朝になって這い出てみて、まだ風が止んでいないとしても、だいぶ元気になります。くまのプーよろしく、「風の日おめでとう!」 「風の強い日おめでとう!」

元気が無かったのか、余裕が無かったのか、ただ寒かったせいなのか、長く映画館に行っていません。隙を見ては映画館に行き、たまにヨガスタジオに行き、たまに美術館にも行き。そんなふうに遊びまわるのが大得意のワタシなのになぁ。何時もは隙を見て遊ぶ方が本業で、しごとの方がおまけみたいな、なのになぁ。どうしたことだろうかなぁ。

さっき、何で重いのかわからない腰を持ち上げて、サロンシネマさんのHPに行ってみました。そしたらあったぞ! うんうんたのしみ! 行く行く! と元気の種になりそうな映画が。映画の題名が長いのは、ジャームッシュが邦題をつけるのを許さなかったから、らしいですよ。ワタシなんかより年上なのに、めっちゃいけてるティルダさんを見れるのもうれしい。きれいな女優さんを見るのも映画のたのしみですものねっ。

さあさあ、ワタシよ。「風の日おめでとう!」「風の強い日おめでとう!」。長閑なお天気ばかりじゃ、生きてるって実感が無くていけねーよ。



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煮りんご
                                   


本を読んだとか、映画を観たとか書けないまま冬が過ぎています。衿子ちゃんにもらったりんごで煮りんごを。トーストにのっける専用にするつもりで、バターでそろりそろりと炒め。りんごの水分を呼び出すための水を呼び水というそうで、水をほーんの少し。砂糖はふつうの三温糖を適当と、シナモンは無かったので最後にラム酒も少し。りんご6個分。

そうそう、しっかり落ち着いて暮らしましょ。夕方、ごはんの支度の時、
ジェイミー・カラムのCDを大きめの音でかけて始めるのがこの頃の習慣。
[ おやつの時間 ] comments(4) / trackbacks(0)
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