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土潤って蒸し暑し ( 35候 / 72候 )
                              



パン生地をしかけておこうと思えば粉がなくて、朝っぱらからちょいと近所に。金毘羅さんの木にめちやくゃくちゃシャワシャワ蝉が鳴いており。

もう、蝉の抜け殻が豊作。蝉は手づかみOK。他の子は泣き喚いてジタバタするのに、この子は少しも逃げようとしませんでした。

羽根の根もとが少しグリーンで、羽化してからまだ1日経っていないのかもしれません。まるで親にでもしがみつくようにグッと指にとまったまま。無理に離そうとすると足を痛めてしまうのではないかと心配なほど。

大丈夫だよ。夏が来たんだよ。

どうぞ無事で、よい1週間をね。ワタシもそうするから。

[ つれづれ ] comments(8) / trackbacks(0)
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中村うさぎ×三浦しおん 『 女子漂流 』
                      



古本ポチで買ってしまいましたとさ。ドラマ1話分くらいの時間で読めてしまう対談本でございます。

読む人によって受け取りはいろいろかもしれません。自分も会話に参加してる気分で読んでるものですから、別段女だからこそ生きづらいって風にも受け取りませんでした。ワタシは。男だってそれはそれでつらいのかもねと思ってます。

去年の秋に毎日新聞社から出てるもののようですね。今日行きますと言っておいたブックオフの買い取りのお金を取りに行くのを忘れちゃったので、明日行って、これも売ってこよーっと。

全体でめっちゃ納得したとかそういうのじゃない気がしますが、気になったとこに符箋つけといたのでちょっと振り返ってみたり。


キャバ嬢が全然すごくなくても「すご〜い!」って言うあれ。男にはあれが喜ばれる。ツッコミはダメ。男はどうせ違う生き物。言葉も通じないし言葉の定義も、世界観も価値観も。

( 何も分かち合えないとは思っていませんが、年々違う生き物だとは思うようになりました。違うってことがどんどんハッキリしてくる。分かりあえると思っていたのは、何かの魔法がかかっていたのかもしれない。笑 )

おっぱいとか足とか性的なパーツに発情するのは、男が視覚的な性的記号に発情する生き物だから。女は関係性だとかシチュエーションだったりに発情する。

( だな! 男性雑誌にグラビア多いのもそのせいよね。)

今までは男のファンタジーを支える女の人が多かったんじゃないか? 愛あるセックスがきもちいいのは幻想かもしれないけど、脳内麻薬のせいじゃないか? 「好き!」」とか思うと麻薬量が増える。

( ファンタジーを支えてきたひとたちは体力があったのか優しかったのか、支えるしかなかったのか?どーだろ?)

女は得しているという側面も。「あたしが食べるものを、あんたが命がけで働いて獲ってこい!」ってシステムはそもそも女が作ったんじゃないか?

( 女にエロス権力があるかどーかワタシにゃわかんないけど、その後男が経済って権力を導入して弱者の側にもなりつつ。そのシステムをうまく利用しているとすれば、「すご〜い!」くらい連発しながら暮らせばいいのかも。)



女子が、望まれる女子の王道を歩んでも、離れ小島で生きて行こうとしても、どっちみち漂流してしまうよね というのが結論だったかもしれません。漂流しない女子なんているのか? マジョリティーはいないのかもね、ってはなしです。

しおんさんは1976年生まれ。うさぎさんは1958年生まれ。女子力の追求という点ではまったく逆のベクトルをさしているご両人のおしゃべりだったけど、つまりは「変態でもいいんじゃないの?」ってことでしょうか。自分の欲望や自分の大切なものを自分で認めないのは、他者にたいしても認めないってことになるんじゃないか? 

どこかに辿りつこうとしなくていいんじゃないか? それは年齢的にも自然に思うようになっていると自分でも認識しています。どこにも辿りつかなくていい。ただそこそこ快適に、まずまず機嫌よく漂流してまいりますよワタシ。と、思いながら読了。


[ 女子のじかん ] comments(4) / trackbacks(1)
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萩夏蜜柑冷菓 『 柑乃雫 』
                


このめちゃ暑い週末の午後、デパート方面まで行ってきました。どうやら球場では今日も阪神戦があるらしいのです。でもって、宇品方面では花火なんぞがあるらしいんです。知らんかったのよ。

カープ女子だのユニフォームで完全武装のお兄さんだの、二色分け浴衣にでっかい革のバックのお姉さんやらふにゃふにゃとした甚平のお兄さんやら、お母さんにしかりとばされつつゲームに夢中のお子さまだの、お腹がせりだしまくってるお父さんやら。もうあーやらこーやら、ともかく電車の中はパラダイスでございました。ふーーーっ。

で、帰って冷蔵庫を開けるワタシ。熱いいお茶も入れるワタシ。おやつはこの子でございます♪ ホントーーによい子。つめたーくなって、ワタシを待っててくれてありがとーー。ええ、もちろん、ありがたーい到来ものでございます。自分でお取り寄せ、なかなかね。

あ、ゼリーって自分で作るのもありですね。しばし前、おそとでいっぱいやりましたら、素麺と焼き茄子がゼリーで寄せてありましたとさ。ごちそうっぽくなりますよね。沢山残ってる梅シロップも寒天かゼリーにするといいかも。とか思いつつ。まあ、やらないとは思いますけども。オホホ。

久しぶりに萩にも行ってみたいなぁ。萩に夏みかんが多いのは、明治維新以降、士族救済のために広く栽培されたがゆえだそうでございます。とはいえ、勝てば官軍の山口県ですけどね。



      『 柑乃雫 』・・・ 萩みかんのたけなか  お取り寄せ出来ます。




[ おやつの時間 ] comments(2) / trackbacks(0)
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落語教育委員会 広島編
                              


これまでに聴いたことがあるのは喬太郎さんだけでございます。柳家喜多八、三遊亭歌武蔵、柳家喬太郎による落語ユニットだそうで。まずしょっぱなに携帯を切りましょう的なお3人さんによるコントがございまして。なかなかにサービス精神あふれる企画のようでございます。お客さんはこの日は若いめ。生らくごの会さんのお陰でございます。いつもながら有難い!

歌武蔵さんは元お相撲さん。三遊亭圓歌師匠のお弟子さんですが、元が大相撲の武蔵川部屋にいらしたので、その両方から字を取って歌武蔵なのだそうです。明るくて大笑いさせて下さるという芸風のよう。

大ネタは喜多八さん。この方、柳家小三治さんとこの弟子さん。あのですね、脱力した感じのまくらがあんまり長いのでマジか?と思ったりしておりまして。そのうえ、宝塚ふぁんでいらっしゃるそうなんですが、ご自身の宝塚モノマネ動画の宣伝なんぞございましてね。

なんですけども、いやはやそのうちにすーっかり引き込まれてしまったんでございます。喜多八さんラブになっちまったのでございます。廓噺だったんですけども、しゃべりくちの脱力具合が諧謔と哀感の世界に連れてってくれまして。その連れていってくれる感が素人的にはたまらんのでございます。


柳家喬太郎       蒟蒻問答

三遊亭歌武蔵      宗論

柳家喜多八       お直し   




        



[ 落語のじかん ] comments(0) / trackbacks(0)
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お好きでしょ? 















[ 田島貴男のじかん ] comments(0) / trackbacks(0)
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Negicco「サンシャイン日本海」




ツアーに行けないということは、「ウイスキ〜 がおすきでしょ〜♪ 」でしかお会いできていない田島貴男ダーリンですが、アイドルの曲のプロデュースに参加なさっております。このNegiccoというアイドルグループは新潟を拠点にもう11年も活動しているらしい。当初は名前のとおり、葱のPRのために結成されたものらしく。ほーー、なるほど。

これまでも西寺郷太さんや小西康陽さんのプロデュースを受けていらっしゃるそうなので、その流れで新しいものってことなんでしょうね。ナタリーの対談記事でもあいかわらず天然パワーを放ちまくりのダーリンでございます。


「以前はロックの中だけで現在のポップスを捉えていたんだけど、Negiccoをきっかけにアイドルも含めて現在のポップミュージックを捉え直せる気がしてきた。現在のポップミュージックが違って見えてきた気がするんだわ。遅すぎるのかもしれないけれど、今のポップが少し見えてきたような気がしてる」 とは、Twitterの田島ダーリンのコメント。

別件では、先日の日記ファレル・ウイリアムスの名前がチラリ。新しいアルバム制作、始まってるんだなぁ。


[ 田島貴男のじかん ] comments(0) / trackbacks(0)
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大暑  桐始めて花を結ぶ  ( 34候 / 72候 )
                                       


ムスメとおしゃべりしていて。ハハのともだちんちのお嬢さんが結婚することになったのよなんて、はなしを。もう1年ほど同棲していて 「本人たちがいいと思ったんだったら、それでいい」とは、母親であるともだちの弁です。お相手の男性は一生声を荒立てたりしそうにない大人しい方だそうで、テレビを消したら家の中がシーンとするほど静かになんだとか。ほーー。

そのお嬢さんがはじめて寝がえりをうった日、ワタシはちょうどそのともだちの家に泊めてもらっていました。25年くらい前のことです。その彼女が冬にはお母さんにもなるそうで、うれしいなぁ。


若い時に恋愛も同棲もいろいろ経験してみればいいと思うのですが、ついでにムスメにはなししておいたこと。セックスした時に、脳内麻薬に、より影響されてしまうのは男子よりも女子の方なんじゃないかと思うよ。女性の方が、そのことで愛情を抱いたり執着したりしやすいのではないか?

動物として男性は種をばらまく性であり、女性は安定した環境で子供を育もうとするからそうなるのかどーか?はわかりませんが、そんなことは若い時には考えていなかったかも。たぶんに動物行動学の竹内由美子さんのコラムの影響じゃないかとも思いますが(笑)、当事者じゃなくなったからかもしれませんね。

だからさ、女子は、簡単にはねたらいかんてことなんだなと、ハハはこのごろ思ったりしてるよ。という話。「そうねぇ」とか言って聞いていましたけれど。これから恋愛したり妊娠したり出産したりする若い女子たちのことが、みーんな愛しく思えるこころもちだったりするなぁ、51歳は。おばあちゃん世代になったということかな。

ともだちのお嬢さんにも何かお祝いをしようと思います。赤ちゃんが生まれたら、写真も送ってもらおーっと。女の子たち、自分を大切にしてたのしい恋をなさいませ。



[ 女子のじかん ] comments(0) / trackbacks(0)
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映画 「はなれ瞽女おりん」
   


1977年 監督 篠田正浩 原作 水上勉 出演 岩下志麻 樹木希林 原田芳雄 他 


借りたままになっていたDVDを観ました。そして、いい作品というものは古びないものなのかなと思いました。

水上勉さんの小説を読んでいた頃はいくつくらいだったのでしょう。今の方がわかると思うのは間違いかもしれませんが、おそらく感じるものは少し違うのでしょうね。


瞽女さんというのは目の不自由な女性芸人のことで、主に三味線と唄を門付けで披露して生業としました。全国にいたなかでも越後に大きな組織があり、厳格なしきたりのもとで生活しながら同じ境遇をわかちあったもののようです。

男性と関係してはいけないという瞽女の規律を破ったことで、「はなれ瞽女」としてグループを離れてひとりで生きていかねばならなくなったおりんの生涯を描いています。器量のよいおりんはついに夜這いをかけられ、そのことで親方のもとを離れることとなります。

ひとりで旅をするおりんがめぐりあったのが平太郎という男。平太郎はおりんの手引きをさせてくれと言い、一緒に旅をするようになります。しかし、これまでおりんをいいように扱ったおとこたちと違い、平太郎は「男女の中になったらすぐに別れがきてしまう。おりんちゃんは今日から俺の妹だ。」とおりんに言い聞かせるのでした。


何の不自由もないのに、もっともっとと手を伸ばしながら暮らしている画面のこちら側の自分たちが滑稽に思えるおりんの姿なのでした。女であることで受容される自分を受け入れているおりん。愛しまれたく希求しているおりんは瞽女であり、女であり。それは複雑なことなのか、単純なことなのか、ワタシにはすぐにはわかりません。

水上勉さんは真宗にとても造詣が深いですし、
瞽女さんたちの旅のルートというものは親鸞の旅とちょうど重なるということもこころを惹きつけました。瞽女さんというものはその仏縁の土地柄とともに、そういう真宗の文化に深く裏打ちされているということが深く悲しく。しかし、そうすることで支えられた多くの人生とその苛酷さを垣間見えるように思います。



ここに参るはおりんでござる
しょうじるてんの苦界の人が
ろく字のあみにかがられて
みだの浄土にひきよせられる
おりんご恩をよろこばしゃんせ
ご恩うれしや南無阿弥陀仏


山ちゅう山がみんな若芽の生える匂いがしとるようじゃ
青葉若葉がみんな泪流して おらがのまなこを洗うて下さるようじゃ
人はみな親様のお蔭でこの世に生まれてくるんじゃろ
盲には地獄が見えねえように 阿弥陀様がまなこつぶして下さったんじゃ



瞽女さんの旅はこの世の苦労という苦労を一切引き受けてくれている。瞽女さんは、仏の代身として生きていてくれる。そのお陰で、貧しい中にも子を持つことや暮らしをなりたたせていられる自分がある。と、地蔵堂で出会った老婆が言うところが胸にせまります。水上勉さんの言わんとすることはそこにあるのではないかと感じました。小説のあとがきには「野の聖」ということばがあるそうです。

戦争がはじまっていて軍が出てきますが、そのこともますます貧しい人間を蹂躙していきます。そうやって人を蹂躙することなしにまわらない世間は
虚仮であるということ。生きるということそのものの悲しさと、そのなかにある明るさやよろこび。その潔さや美しさや。

若かりし日の小林薫ですとか、西田敏行、樹木希林も出てまいります。みんなうまい!岩下志麻はうつくし過ぎるほどで、平太郎の原田芳雄もまた申し分なく美しいです。奈良岡朋子、殿山泰司、加藤嘉、、、。宮川一夫さんのカメラがまたすばらしい風景を捉えているということらしいのと、美術は粟津潔さん、音楽は武満徹さん。



[ 映画のじかん ] comments(0) / trackbacks(0)
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鷹技を習う (  33 候 / 72候 )
             


             わがやでやっている月2のお稽古ごとというのがあって、メンバー
             は移りかわりながらもう20年以上になります。今は5人ほど。
             毎年8月はお休み。こどもが小さかった時の名残り。

             小さいこどもはいなくとも、お盆とか夏休みとかはあるのでね。
             遊びでは、無理やがんばりはしない主義なの。そんなところで気重
             にはなりたくないから。

             また秋にね。ぼちぼちがんばろうね。元気でね。と励まし合いながら、
             今月のお稽古終了。さあて、夏ですよ。


[ つれづれ ] comments(0) / trackbacks(0)
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エンプティネスト・シンドローム
                              


素敵なブログというのは沢山あります。でもワタシの場合のブログというものは、おめでたくみっともないものだということは自覚しつつ、必要なのでやめられないといったところです。気散じが主たる実用性ですが、ふつうの日記のように書くことによって整理されたり自覚したりするということもあります。

間違ったことを考えていた時、書いておけば、間違っていたんだなとうんと後になって取り出して見るというこもできます。あとは書くことによる記憶定着、覚え書きのためといったところでしょうか。

この前 「 真鶴 」 の感想を書いたあとで、やっぱりワタシはいささか 「空の巣症候群」 なのだなとあらためて自覚しました。自分のためにしかならない駄文の効用(笑)。

もちろんわかっていなかったわけではありません。だけどどんなことも、本当にお腹に納まるまでには段階というものがある気がするのです。こどもが家にいなくなったということで泣いたことは一度もなく、自分中心で遊ぶのが好きで欲張り。丁寧な子育てとは縁がありませんでした。でもやっぱりそうなんだろうな。。

こどもがいることで棚上げになっていることがあるということは、よーくわかっていました。こどものことよりも日々感情を支配する問題に気をとられていました。今も。それでもやはり、じぶん全体の天気図は何かこどもの手が離れたということで影響を受けているんだな。。

過ぎてしまった台風が夏の高気圧を刺激したように、直接的にではなくともぜんぶのことは影響しあっているようです。晴れたり曇ったり、駆られたり沈んだり、何かと格闘中といったところでしょうか。




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