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愛されずして沖遠くおよぐなり

 

少しだけ俳句をやってみて思うのは、良し悪しということは言えないにしてもすぐれた句というのはたしかにあると思われて。おそらく作句しつづけることでしかそれに近づけないのでしょうが、じぶんの中でどういう句をよいとするか? 

 

指導者に褒められるものというというのは世の常としてあるでしょうが、では誰を師とするのか?というのが結構問題になんじゃじゃないかなぁ。結社によって傾向というものがあるということは、初心者にも薄々感じられます。何を俳句ととらえるかということも共同体によって違っているのでしょう。

 

小川軽舟という俳人がいらして、という結社の主宰でもあります。全国紙の俳壇の選者というものはおそらくそれぞれビックネームなのではないかと思いますが、その中ではお若い方になるかと。素人が句を拝読して思うのは、何というか、少し可愛らしい感じとでもいいますか。少し乙女めいているとでもいうか。おそらくそれは『鷹』の傾向でもあると思われます。

 

その『鷹』というものは藤田湘子という俳人によって創刊されたものです。その藤田湘子という方は『馬酔木』の水原秋櫻子と石田波郷の影響を受けた人です。そうやって師の系列ということを知るのも面白いといえば面白く。たっぷり観賞すればよいのでしょうが、湘子の代表句といわれるものをつまみぐいしてみました。

 

炎天にテントを組むは死にたるか

 

蜥蜴出て遊びゐるのみ牛の視野

 

朝顔を蒔くべきところ猫通る

 

冬の街憂々とゆき恋もなし

 

琴の音や片陰に犬は睡りつつ

 

受験期や少年犬をかなしめる

 

麹町あたりの落葉所在なし

 

わが屋根をゆく恋猫は恋死ねや

 

父に金遣りたる祭過ぎにけり

 

つちふるや嫌な奴との生きくらべ

 

菊人形問答も無く崩さるる

 

煎餅割って霞の端に友とをり

 

刻かけて海を来る闇クリスマス

 

十月やみづの青菜の夕靄も

 

志ん生も文楽も間や軒忍

 

鞦韆は垂れ罠はいま狭められ

 

縄跳びのこゑつづくなり泪ふと

 

養生は図に乗らぬこと春の草

 

人参は丈をあきらめ色に出ず

 

春夕好きなことばを呼びあつめ

 

雪の夜の波立つ運河働き甲斐

 

憂き人をつっつきてゐる鹿の子かな

 

物音は一個にひとつ秋はじめ

 

とろろなど食べ美しき夜とせん

 

逢いにゆき八十八夜の雨の坂

 

愛されずして沖遠くおよぐなり

 

 

湘子の魅力を語るべき力も無いのですが、湘子の系譜につらなっているひとたちに、それは時代のせいもあったかもしれませんが、素人からみればこれみよがしなセンスの良さやナイーブさを演出する句がつらなっていくのもやや頷ける気がします。今のところは素人考えで、のちになってみればあんな風に感じていたんだなぁと思う日が来るのかも知れません。

 

 

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蓮の蕾

 

桜の頃、今年は初めて蓮をじぶんで植え替えました。大きな大きな水甕の底にびっしりと張った根を泥の中から全部引っ張り出して、その中から蓮根を一節、また泥に埋めます。ちからしごとですが、じぶんでやってみれば浮葉が出てくるうれしさもひとしお。その中から気が早い蕾がひとつ立ち上がってきました。無事に初花になりますように。

[ 花のじかん ] comments(0) / trackbacks(0)
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映画 『 裁かれるは善人のみ 』

 

この監督の映画は観ることに決めています。しかし、気軽には観れません。

 

自動車修理工場をしているコーリャは若くて美しい後妻のリリアと、先妻とのあいだのムスコのロマと暮らしています。ところが選挙を控えた市長が権力にものを言わせてコーリャの住んでいる土地を無理やり買収しようとしていて。コーリャはモスクワから友人の弁護士ディーマを呼び寄せ対抗しようとするが、、。

 

キリスト教的な課題と神話をベースにするアンドレイ・ズビャギンツェフ監督の、またもゆるぎない作品でした。残念ながらワタシには何もかもを汲むことは出来ないわけですが、国家と教会の結びつきなど日本人にはわからない不気味さです。司祭は神の名のもとに市長を正当化してしまうあたり、異常にストレスフル。神の真実は都合よく解釈され、神は不在のまま。

 

弁護士のディーマが追い払われてしまえばコーリャは為すすべは何もなくなってしまう。ただただ降りかかる災いに翻弄され、唖然としつづけるだけ。

 

国や権力や教会といった男たちの流れはそれとして、美しいリリアも追い詰められていきます。リリアが海で見たものはおそらく鯨で。リリアはどう生きればよかったのか。父権的な権力の世界で。

 

絶望的な暗さと重たさがそれ故に作品を引っ張ってゆき、短くない時間、その世界に身を浸されながら過ごしたのでした。

 

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映画『 めぐり逢わせのお弁当 』

 

 

もう3年くらい前の映画でしょうか。当時インド映画らしからぬこの作品は人気があった気がします。インドの大都会であるムンバイで、家やお店からお弁当を配達し、回収するしくみがあることも新鮮でたのしい題材ですね。弁当配達人はダッパーワーラーと呼ばれるそうです。

 

ある日料理を通して夫の愛情を取り戻そうとする主婦のイラのお弁当が、あやまってサージャンという初老の男の元に届きます。繰り返して誤配されるあいだにふたりは手紙をやりとりすることになり、こころを開いていきます。

 

インドだろうが年齢がいくつだろうが、こころを通わせることができる人がほしいことにかわりないですね。まだ中年にもならないイラには一人娘がいて、夫はしごとに忙しいし心はまったく家庭にあらず。イラの気持ち、よくわかりますよね。サージャンは妻に先立たれていてイラのお弁当と手紙に心を動かされていく。50代の悲哀、これもよくわかる。会わないふたりのラブ・ストーリーといったところでしょうか。

 

結末ははっきりとは描かれませんが、まあそれはそれでよし。しかしねー、もしハッピーエンドであったとしてもしあわせいっぱいってものでもないんだよね、と思ってしまうのはおばちゃん心でしょうかね。あ、そうそう。「人は間違った電車でも正しい場所に着く」という言葉が中で繰り返されるのだけど、どう解釈すればいいのかワタシにゃよくわからず。

 

たのしかったですが、気軽なものを観たかったわりに、ワタシはいささかもやっとしたのでしたよ。

 

 

 

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花菖蒲

 

杜若とどこが違うのかしら?ですね。活け方のルールの違いはありますが、覚えるのは放棄。杜若のやさしく爽やかな感じと比べると直線的かなぁ。

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杜 若

 

昨夜、すっころげて落ちて顔をごつんと打ちました。どこをどうやってそうなったのかじぶんでもよくわかないんですが、血が出るような感じにはなっていません。目と目のあいだ、鼻のてっぺん、鼻と唇のあいだ、上唇にあからさまな赤い打ち傷。

 

顔を柵にぶつけたには違い無いのですけれど、階段だったので手に持っていた重たい石油ストーブも落としたくないと思ったらしく。もう力任せに1度に荷物を運ぼうとするのはやめにしましょーねー。

 

今日は会う人会う人に『どうしたの?』と訊いてもらい、『折角の美人が台無しでしょ』とおじさんの駄洒落なみのセンスで返事を返すという事態になったのでした。


さておき、先々月に久しぶりに髪型を変えたんです。そのせいでポチャッとした顎のラインが出てしまい、我ながらあの昭恵夫人的なニュアンスが。しかしあの昭恵夫人には一流の美容師さんがついていらっしゃるのでしょうから、まあそれは良しとして。

 

えーと、やや気持ちが落ち着いてみますとね、目、鼻、口の縦のラインを打ってですね、ワタシのビーバーのように少し前に出ている2本の前歯は何ともなかったことは幸いでございました。

 

ほら、だってね、前歯が2本無い昭恵夫人を想像していただけますか? おほほ。


 

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マリーゴールドの匂い

 

マリーゴールドを植えました。スーパーマーケットで1株79円。むかしのイメージに比べて色合いもさまざまみたい。ほのかに匂いがします。マリーゴールドの匂い、わかりますか? かいでみれば、ああ、そうそう、と思いだす匂いです。万壽菊、千壽菊、紅黄草とも呼ばれるようですが、すぐにはピンときませんね。

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白洲正子 著 『 近江山河抄 』

 

大人が旅をするなら京都よりも奈良か滋賀がふさわしいと思う。派手さは無いが滋味深いと感じているからです。だけど具体的に何を知っているわけでもなく。旅には出かけないワタシは、白洲さんのちからを借りて琵琶湖のまわりを歩くことにしました。まあ、かといってまるっと消化するなんてことも出来ないわけですが、感じておいて次につなげることにしましょ。

 

神楽にも出てくる「伊吹山」は「伊吹の荒ぶる神」として最終章になっています。「イブキ、イブクという言葉は、息を吹くことを意味するから霧の多い伊吹山に、古代の人々は、神のいぶきを想ったに違いない。そのいぶきに当たって日本武尊は命を落とした」と。ぼんやりとしか持っていなかった伊吹山というものに、輪郭を与えられるわけで。

 

それにまつわる神話、山に活躍した修験道の山伏、本地垂迹説に基づく山岳信仰。また龍神信仰だとか近江に多く見られる十一面観音のこと。十一面観音は婆羅門教の十一荒神に基づくと思われ、東大寺二月堂の「お水取り」がそのことの日本での元になっていることなどなど。

 

白洲さんの有名な『かくれ里』なども読んだことがなくて、これまた消化できるかどうかは別として、大人の気分で読み継いでいくつもり。なかなかおつな気分です。

 

 

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連 休

 

 

今日、昨日、一昨日、よい天気ですね。しごとをしながらややのんびり、子供が帰ってきたり、義父の法事をして、ママのお誕生日会をして。なかなか主婦としては大仕事もやっつけましたよ。

 

ともだちもみな云いますが、子供が普段家にいないのに、家庭のしくみを変えてまた元に戻すという変化そのものがわりと負担。家事が大変とかよりも、心持ちの方かなぁ。もとに戻った時にはややすうすうしますしね。

 

ムスコの方はさっき京都に戻っていきました。倉庫からウルトラマンの怪獣たちを発掘したらしく、イベントに使うと言って持っていきました。捨てないでおいてよかったなぁ。

[ つれづれ ] comments(0) / trackbacks(0)
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一初

イチハツはあやめの仲間でいちばん早くさくからイチハツだそうだ。写真がまずいけど、生け花の材料としてはベーシックなもので活けかたの決まった形もある。だけどいっときのものだからお稽古用にはあまり出回っていない印象。

 

庭の、水に浸けたままになっている杜若の鉢も青い葉を伸ばしていて、蓮も今日植え替えるつもり。桜は葉桜になりつつあり、ぐんぐん季節はすすむなぁ。置いてきぼりにならないようにしないとね。たぶんからだを動かせば焦らないで済むんじゃないかな。

[ 花のじかん ] comments(0) / trackbacks(0)
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